首里石嶺は、琉球王府時代の西原間切に所属し戦前・戦後は畑の多い農村地帯でした。大正末期に石嶺町として首里地区に編入され、現在では首里で最も広い面積と人口を誇り活気に満ち溢れている町です。
町のシンボルである旗頭の灯籠(トゥールー)には、永遠の命を有し夢と希望を実現させる想像上の鳥「鳳凰」がデザインされ、その羽ばたく姿は石嶺町の未来への限りない飛躍発展を象徴しています。また、灯籠に描かれた巴紋は町内4つの地域の結束を意味します。
大旗に書かれた題字の「北翔」には「石嶺町が首里の北に位置し限りない発展を象徴するもの」という意味が込められています。