令和6年度 首里城公園企画展「泡盛をめぐる歴史と文化展」開催

ホーム > イベント情報 > 令和6年度 首里城公園企画展「泡盛をめぐる歴史と文化展」開催

2024.11.02 展示案内

令和6年度 首里城公園企画展「泡盛をめぐる歴史と文化展」

沖縄を代表するお酒である泡盛は、15世紀後半に琉球王国と諸外国との交流の中で、生み出されてきました。現代でも沖縄県内に留まらず、県内外で楽しまれています。
 琉球王国時代、首里城周辺の首里三箇(鳥小堀、崎山、赤田)で製造され、首里城銭蔵に納められ、首里王府によって厳格に管理されていました。これらのお酒は、貿易品や中国・日本への献上品として、また首里城内の儀礼の場でも用いられました。
 今回、泡盛にまつわる歴史や泡盛を入れるのに用いられた酒器等を画像でパネル展示し、泡盛が振舞われた宴等について触れ、首里城を中心に発展した豊かな飲食文化を紹介します。
 
※パネルで関連する収蔵品画像を展示します。(実物資料の展示はありません。)

【期  間】2024年10月19日(土)~12月27日(金)
      ※首里杜館開館時間 10月~11月 8:00~19:30/12月 8:00~18:30
【場  所】首里杜館 B1F ガイダンスホール
                       世誇殿(有料区域内)大型パネルにて上映中


『托付銀椀 三御飾道具(たくつきぎんわん みつおかざりどうぐ)』
(一財)沖縄美ら島財団所蔵(いちざい・おきなわちゅらしまざいだん)

 「泡盛をめぐる歴史と文化展」

 沖縄を代表するお酒である泡盛は、15世紀後半に琉球王国と諸外国との交流の中で生み出されてきました。現代でも沖縄県内に留まらず、県内外で楽しまれています。
 琉球王国時代、首里城周辺の首里三箇(鳥小堀、崎山、赤田)で製造され、首里城銭蔵(しゅりじょうぜにくら)に納められ、首里王府によって厳格に管理されていました。これらのお酒は、貿易品や中国・日本への献上品として、また首里城内の儀礼の場でも用いられました。

 ●泡盛の誕生●
 泡盛の誕生以前は、ミキ(神酒)が一般的で、米を口でかみ、だ液によってアルコール発酵(はっこう)を促し、酒をつくっていました。ミキは主に祭りやお祝い事に利用されました。
 文書の記録や貿易陶磁器の出土品等から、15世紀以前から蒸留酒が琉球にもたらされ、さらには中国や東南アジア諸国と交易する中で蒸留の技術が伝わり、15世紀後半には泡盛が造られるようになったと考えられています。また16世紀前半に、薩摩・島津家に贈られた記録、その後、琉球から江戸幕府への献上目録にも「泡盛」が記されており、徳川将軍就任の慶賀と琉球国王即位の謝恩のため、江戸に赴く江戸立(江戸上り)において、泡盛は献上品として欠かせないものとなりました。
 首里城内において泡盛は、首里城内で行われるさまざまな儀礼にも利用されました。正月の儀礼では、元旦の御飾として酒器も飾られ、国王と臣下がお酒を酌み交わす「大通り」の儀式も行われていました。
 
『宝永の江戸上り行列図(ほうえいのえどのぼりぎょうれつず)』(一部)
(一財)沖縄美ら島財団所蔵(いちざい・おきなわちゅらしまざいだん)

江戸立(江戸上り)の際には、国王の使いである正史・副史を中心に、100人前後で構成され、琉球や中国風の装束を身に纏い、路次楽の演奏と共に行列が見られました。その様子が絵に描かれて残されています。この絵巻は宝永7(1710)年の江戸上り行列を描いたものと思われます。第6代徳川将軍家宣就任のお祝いと、尚益王即位のお礼と二つの目的で使節団を派遣しました。

 ●ウトゥイムチ●
 「ウトゥイムチ(御取持)」は、おもてなしや接待を意味する言葉です。琉球国王の代替わりに来琉する中国の冊封使節や17世紀以降に琉球へ派遣された薩摩役人らを歓待しました。そのような宴席で客人をもてなす料理や酒の肴を盛り付ける道具として東道盆が用いられ、王府主催の宴席から士族の祝宴まで幅広く使われていました。
 また東道盆は中国皇帝や徳川将軍家、島津家への献上品、薩摩役人への贈答品としても用いられています。
 ※「東道」は諸説ありますが、中国の歴史注釈書『春秋左氏伝』にある「東道の主」に由来するもので、主人となって客の世話をする、という意味。琉球ではこれが転じて、食物を入れ神仏への供物や賓客に食事を献ずるための器を「トゥンダーボン(東道盆)」と呼ぶようになりました。

『朱漆山水楼閣人物箔絵東道盆(しゅうるしさんすいろうかくじんぶつはくえとぅんだーぼん)』
(一財)沖縄美ら島財団所蔵(いちざい・おきなわちゅらしまざいだん)


蓋の表には箔絵で山水楼閣図が描かれ、四隅の脚部は獅子の顔から伸びた足が玉を掴んでいます。中には中国製の陶磁器が5枚納められています。このような形は定型的な形で、類似資料も多く見られ、量産された可能性があります。

『黒漆雲龍螺鈿長方形東道盆(くろうるしうんりゅうらでんちょうほうけいとぅんだーぼん)』 
(一財)沖縄美ら島財団所蔵(いちざい・おきなわちゅらしまざいだん)


黒漆に螺鈿で、瑞雲と龍が描かれた大型の東道盆。東道盆には、通常中に、銀、石、陶器、漆器の皿が納められ、全体的な形としては円形や方形等がありました。本資料と類似する資料は、那覇市歴史博物館が所蔵する国宝『琉球国王尚家関係資料』や北京故宮博物院に見られます。中国皇帝への献上品として製作され、形態や文様は形式化してたと考えられます。

『那覇港図(なはこうず)』(複製) 原資料:19世紀中頃
(一財)沖縄美ら島財団所蔵(いちざい・おきなわちゅらしまざいだん)


「那覇港図」には、ユッカヌヒー(旧暦5月4日)に行われた爬龍船競漕(ハーリー)の様子と、それを見物する琉球の人びとや薩摩役人の姿が描かれています。重箱や酒器のようなものが描かれ、行楽を楽しむ様子がうかがえます。
「那覇港図」は、中国から帰国した進貢船や停泊する薩摩の船などが描かれ、琉球王国時代の那覇港の繁栄を表現した絵図です。

 ●陶器●
 壺屋では、泡盛容器の壺を大量に製作していました。

『線彫線条文抱瓶(せんぼりせんじょうもんだちびん)』
(一財)沖縄美ら島財団所蔵(いちざい・おきなわちゅらしまざいだん)

両方の耳に紐を通し肩から掛け持ち運ぶ携帯用の容器で、水や泡盛等を入れて使用された琉球独特の陶器です。腰のカーブ部分に上手く当てるため、三日月型をしているのが特徴です。琉球王国の士族層が使用したものです。

 ●堤重(さげじゅう)●
 提重とは、徳利、杯、杯用の盆等を収納し、外出するのに便利な携帯用の重箱セットです。現代に残された堤重は朱や黒漆で塗られた上に、螺鈿、沈金、箔絵、堆錦等で加飾が施されたものがあり、琉球王国時代、堤重を用いて野外での華やかな宴席を設えていた様子がうかがえます。
 1719年、中国から尚敬王の冊封副使として来琉した徐葆光の『中山傳信録』には、堤重が描かれています。重箱や徳利、盃等が描写されています。
 ※冊封とは、琉球国王が代替わりを行う際、中国皇帝から使者が遣わされ、琉球国王の即位式が執り行われました。

『朱漆山水楼閣人物堆錦提重(しゅうるしさんすいじんぶつついきんさげじゅう)』
(一財)沖縄美ら島財団所蔵(いちざい・おきなわちゅらしまざいだん)

提重とは、徳利、杯、杯用の盆等を収納し、外出するのに便利な携帯用の重箱セットです。
王家や士族の富裕層の間で使用された高級品でした。日本向けの献上品や贈答品として堤重が首里王府の貝摺奉行所で製作されることがありました。琉球の役人が薩摩の役人を接待するためにも堤重が用いられています。

『黒漆牡丹唐草螺鈿提重(くろうるしぼたんからくさらでんさげじゅう)』
(一財)沖縄美ら島財団所蔵(いちざい・おきなわちゅらしまざいだん)

牡丹・唐草の文様を螺鈿細工(らでんざいく)で見事に描いています。貝摺奉行所製作(かいずりぶぎょうしょせいさく)の漆芸品であると思われます。なお徳利は、薩摩焼であるため鹿児島で購入したものを使用していると考えられます。酒瓶はすず瓶が一般的でしたが、このように焼物で代用することもありました。

 

【お問合せ】首里城公園管理センター 広報企画展示係 TEL 098-886-2279

WEBチケット3

首里城公園

WEBチケット3