国吉比屋の墓 | とじる |
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国吉比屋は15世紀ごろの人物で、査姓(させい)国吉家の始祖になっています。
景泰(けいたい)年間(1450~56年)に真壁間切(まかべまぎり)国吉の地頭職に任じられました。
また、家譜(かふ)に拠れば、中城按司護佐丸の子盛親の子をかくまい養育したとも伝えられています。
もとの墓は住吉町にあり、儀間真常の墓と隣り合っていましたが、戦後アメリカ軍によって接収されたため、現在地に新しい墓を建立しています。
国吉比屋は、18世紀の中頃、田里朝直(たざとちょうちょく)によって創作された組踊「義臣物語」の主人公として登場します。
物語では、国吉は自分の主人に忠節を尽くし、その仇鮫皮按司(かたきさめがわあじ)を狙いますが失敗します。ところが、かえって鮫皮按司にその忠節を称えられハッピー・エンドを迎えるというものです。