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儀間真常の墓
ギマシンジョウノハカ

とじる

〔市指定文化財〕

儀間真常は、1605年野国総官(のぐにそうかん)が中国からもたらした甘藷(かんしょ:サツマイモ)をもらいうけ、その栽培方法の普及に尽力しました。
また、鹿児島から木綿の種子を持ち帰り木綿栽培と木綿布の織りを広め、さらに中国から砂糖の製造技術を導入し国中に広めました。
これらの功績から'沖縄産業の恩人'として称えられました。
1557年垣花に生まれ、1593年真和志間切儀間村の地頭に任じられました。
1624年には親方(ウェーカタ)の位を授けられ、1644年88歳で亡くなりました。
儀間真常の墓は、もともと小禄の住吉町にありましたが、戦後アメリカ軍の港湾施設として接収され、ここ崎山の地に移転建立されました。

  • 参拝者に配慮

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