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金城村の村学校所「訓蒙館」跡
ソンガッコウジョ クンモウカン アト

とじる

琉球王国時代、国政の中心地であった首里城からほど近い石畳道のこの付近に、金城村学校所「訓蒙館」がありました。創建は1835年といわれています。
村学校所は士族子弟の教育機関で、首里・那覇などの各村ごとに建てられました。
士族の子弟は7~8歳で入学し、元服する14~15歳まで「三字経」の読み書きから、「論語」「孟子」などに四書を学びました。
王国末期、「訓蒙館」には136人の生徒が在学し、学校所には「中取(なかどり)」「筆者(ひっしゃ)」といった王府の役人も詰め、村の風俗、衛生を取り締まるなど役所の機能も有していました。
1879年の琉球処分後は学校所は廃止され、村の共有地となりその後個人に払い下げられたそうです。

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