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烽火台跡
ホウカダイアト

とじる

「西森(ニシムイ)」には天辺が平らな岩があります。
かつては、この岩のあたりを烽火台として、川を行き来する船を見張り、のろしを上げて船や首里城との連絡をとっていたと伝えられています。
歴史書『球陽』には、1644年(尚真王)首里と各地の連絡のためにのろしを上げる場所(烽火台)を整備したことが記されています。

  • 参拝者に配慮
  • 足下に注意

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