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羽地朝秀の墓
ハネジチョウシュウノハカ

とじる

琉球王国時代の政治家、「羽地朝秀の墓」です。
もともとは朝秀の父の代に国王から贈られたものです。
このあたりはイヌマキ(チャーギ)が多いことから「チャーギ山」ともいわれています。羽地朝秀は唐名(中国名)で向象賢といいます。俗に羽地王子朝秀、羽地按司朝秀の名で知られています。
沖縄を代表する政治家の一人で、首里王府の最高職である「摂政(シッシー)」もつとめました。
当時の国王(尚質)の命を受け、琉球最初の正史『中山世鑑(ちゅうざんせいかん)』を編集したほか、たびたび鹿児島へ上国し、薩摩側との信頼関係を築きました。
羽地が打ち出した政策は『羽地仕置』(はねじしおき)としてまとめられ、彼の死後も王府行政の指針になりました。
彼の生家「羽地御殿跡」は首里大中町にあります。

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