儀保殿内跡 | とじる |
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尚真王代(1477~1526年)琉球王国の神女組織が整備され、最高女神官「聞得大君加那志(チフィジンガナシ)」 の下、真壁(マカン)・首里(シュイ)・儀保(ジーブ)の「大阿母志良礼(オオアムシラレ)」と呼ばれる3名の高級女神官が置かれ、琉球全域の呪女(ノロ〉)を3区域に分けて管轄させました。
儀保殿内は、高級女神官の一人「儀保大阿母志良礼」の神殿及び住居跡です。
儀保大阿母志良礼は、首里三平等における西(北)之平等(ニシヌヒラ)を管轄し、汀良、儀保、赤平、久場川、浦添、西原、慶良間、粟国、渡名喜島の各間切(マジリ)の祝女(ノロ)を配下に従えていました。
1879年の廃藩置県後、真壁・首里・儀保の各殿内の3つの神殿は統合され「三殿内(ミトゥンチ)」と呼ばれ、天界寺の一角に移されましたが、沖縄戦で失われました。
現在、天界寺跡には真壁殿内の井戸が残されています。
儀保殿内跡は大正初期に民有地となり、現在ではマンションが建っています。