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岳之口跡
タキヌクチアト

とじる

このあたりは「岳之口跡」と呼ばれており、由来は「岳の入口」という意昧ではないかと考えられています。
また、1609年薩摩が侵攻してきた時、琉球の兵士が太刀で首を斬られたことから「太刀之口(タチヌクチ)」と呼ばれていたとも伝えられています。
この付近は、ちょうど現在の首里赤平町、首里久場川町、首里儀保町の境にあたります。

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