沖縄在来豚(ざいらいぶた) アグーとアヨー

  1. 沖縄在来豚(ざいらいぶた) アグーとアヨー
14世紀(せいき)琉球王(りゅうきゅうおう)察度(さっと)」の使者が明より種豚(たねぶた)を持ち帰ったことが、沖縄における養豚(ようとん)のはじまりと言われています。  沖縄在来豚(ざいらいぶた)は、1843年の英国船救助(きゅうじょ)のお礼として送られた、黒白斑(はん)(ぶた)との交配から生まれた「唐豚(からぶた)・アヨー」と、それ以前に島にいた「島豚(しまぶた)・アグー」とされています。アグーは全身黒色で耳は大きく()れ、体の後方の発達がよくなく、()もへこんで()たけも低いです。アヨーは体に黒斑(はん)白斑(はん)があり、アグーほど()はへこんでいません。
 戦争による激減(げきげん)の後、アメリカおよび日本本土から導入(どうにゅう)された外来品種により、在来豚(ざいらいぶた)はほとんど消えてしまいました。現在(げんざい)、一部愛好家が飼育(しいく)していた交雑(こうざつ)の少ない個体(こたい)の交配によりアグーの復活(ふっかつ)が図られ、ブランド(ぶた)として市場に出ています。
豚肉(ぶたにく)が沖縄料理でかかせない食材の一つになったのにはいくつか理由があり、①17世紀(せいき)、農業生産向上のため、使役動物であった牛や馬を(ころ)すなという牛馬屠殺(とさつ)禁止(きんし)令が出、代わりに豚肉(ぶたにく)を食べることを奨励(しょうれい)したこと。②冊封使(さつほうし)琉球(りゅうきゅう)国王即位(そくい)(さい)の中国からの使者)をもてなすための食材である豚肉(ぶたにく)が足りなくなることがあったため、増産(ぞうさん)に力を入れたこと、などがあると言われています。