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真和志之平等(マージヌフィラ)

真和志之平等:画像

真和志之平等は、首里城の南方から西方へかけて斜面地を扇状に広がる地域をさします。

明治以前は真和志、町端(のちの池端)、山川、大鈍かわ、与那覇堂、立岸、金城、内金城、寒水川(のちの寒川)の8村からなる地域でしたが、そのうち大鈍かわ村、与那覇堂村、立岸村は山川村に、内金城村は金城村にいずれも明治13年に合併され、最終的に5つの村になりました。これらは現在の真和志町、池端町、山川町、寒川町、金城町にあたります。

かつて首里には「町端マチ」「赤田マチ」「汀志良次マチ」「平良マチ」とよばれた四つのマチ(市場)があり、なかでも町端と真和志に広がる「町端マチ」は「首里マチ」とも呼ばれ大変な賑わいをみせ、首里地域の総合市場としての役割も果たしていました。
町端村は1921年、近くの龍潭(池)にちなんで池端村に改められました。

王国時代の首里は、三平等(ミフィラ)とよばれる三つの行政区画に分けられましたが、これと同じように琉球の神女組織も三つの地域に分けられていました。

真和志之平等には「真壁殿内(マカンドゥンチ)」があり、高級女神官のひとり「真壁大阿母志良礼(マカンオオアムシラレ)」がこの区域を管轄していました。

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