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首里古地図※沖縄県立図書館蔵

この首里古地図は1700年代初頭に作成されたものと伝えられていますが、詳しい年代は不明です。

琉球王国時代の首里は、三平等(みふぃら)とよばれる三つの行政区域に分かれていましたが、西之平等(にしぬふぃら)と南風之平等(はえぬふぃら)は真嘉比川、真和志之平等(まーじぬふぃら)と南風之平等は龍潭から流れ出た疎水と尾根で分けられている様子が古地図から判断でき、首里の各平等は川で区分されていたことがわかりました。

このページに表示されている古地図はあくまでもイメージですので、詳しく知りたい方は沖縄県立図書館HPからご確認ください。

第二尚氏王統の尚真王は政権の安定をより強くするため、これまで地方にいた有力な按司(豪族)を首里に移住させ、王府による機構の改革や諸制度の整備拡充を行いました。

古地図には王族の御殿や殿内、王府の役所や士族の屋敷、寺院など、昔の首里の町並みが詳細に残されており、かつて 琉球王国が歩んできた時代を写しだしているようです。

首里古地図※沖縄県立図書館蔵

首里の古地図

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この首里古地図は1700年代初頭に作成されたものと伝えられていますが、詳しい年代は不明です。

琉球王国時代の首里は、三平等(みふぃら)とよばれる三つの行政区域に分かれていましたが、西之平等(にしぬふぃら)と南風之平等(はえぬふぃら)は真嘉比川、真和志之平等(まーじぬふぃら)と南風之平等は龍潭から流れ出た疎水と尾根で分けられている様子が古地図から判断でき、首里の各平等は川で区分されていたことがわかりました。

このページに表示されている古地図はあくまでもイメージですので、詳しく知りたい方は沖縄県立図書館HPからご確認ください。

第二尚氏王統の尚真王は政権の安定をより強くするため、これまで地方にいた有力な按司(豪族)を首里に移住させ、王府による機構の改革や諸制度の整備拡充を行いました。

古地図には王族の御殿や殿内、王府の役所や士族の屋敷、寺院など、昔の首里の町並みが詳細に残されており、かつて 琉球王国が歩んできた時代を写しだしているようです。

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