末吉公園地区
王府の歴史書『中山世譜』によると、17世紀後半には本島全域にあった35間切(現在の村)の体制が整ったことが記されており、この頃に琉球の地方行政区画も成立したと考えられています。
王城のあった首里や城下町までの行政区画が整っている様子は、1700年初頭に描かれたとされる「首里古地図」から伺い知ることができます。
首里城を中心に三平等(ミフィラ)が広がっていきます。
三平等の周辺には首里城から北西の丘に「末吉宮(スエヨシグウ)」、東南方の最も高い場所に「弁ケ嶽(ベンガダケ)」といった琉球王府の信仰でも重要な祈りの場所が配置されています。
こうした場所には、現在も手付かずの自然がそのままの姿で残されています。
まるで、王城のある首里の町を静かに見守っているかのようです。