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2025.02.07 展示案内

令和6年度 首里城公園企画展「守礼の花道」開催

令和6年度 首里城公園企画展「守礼の花道」

 比較的温暖な気候の沖縄では、年間を通して多種多様な花々や青々とした木々を目にすることができます。首里城内においても建物の装飾に牡丹や鉄線唐草(クレマチス)等が描かれ、城内には庭園が造られています。さらには茶の湯や活花を通じて、自然を愛でる文化があり、書院や鎖之間から見える庭園にはその文化が反映されていることを感じ取れるものでした。
建物だけではなく、琉球王国時代に生み出されてきた美術工芸品にも、花や植物を吉祥文様として用いられています。今回パネルで、その一部を紹介します。往時の人びとがどのように植物を捉えていたのか、また生活の中にどのように取り入れていたのかを想像しつつお楽しみ下さい。

【期  間】2025年2月8日(土)~2025年3月31日(月)
      ※首里杜館開館時間 8:00~18:30
【場  所】首里杜館 B1F ガイダンスホール


首里城公園 書院・鎖之間、庭園

首里城正殿

首里城公園 京の内

 花と鳥を組み合わせて描かれた図案のことを花鳥図(かちょうず)といいます。中国や日本、琉球でもたくさんつくられています。古くから花や植物、鳥や昆虫は、絵画や詩歌の中で題材として用いられてきました。また工芸品の中にも吉祥文様としても使われています。これらをみると、往時の人びとが身の回りの自然を愛でていた様子をうかがうことができるのではないでしょうか。


『中山楽童子向維新の書(ちゅうざんがくどうじしょういしんのしょ)』
 作者:奥平朝義(おくひら ちょうぎ) 唐名:向維新(しょういしん)
 制作年:乾隆38(1773)年
 一般財団法人沖縄美ら島財団所蔵


 この書には「花の香りは、硯のまわりをめぐり、竹影は琴に映る」と書かれています。目の前の情景を切り取り、生き生きとした筆致で表現されています。
本書を書いた向維新は、組踊を創始した玉城朝薫の孫と考えられており、31歳と年齢が高いにも関わらず楽童子に任命された人物です。乾隆38(1773)年に、能や舞を学ぶために薩摩(鹿児島)に派遣されました。その薩摩で身分の高い人物に乞われて、本書をしたためたと思われます。 



『龍洲奇觀(りゅうしゅうきかん)』
 作者(絵画):泉川寛道(いずみかわかんどう) 唐名:慎克煕(しんこっき)
 作者(書跡):西島長孫(にしじまちょうそん) 雅号:蘭渓
 制作年代:18-19世紀
 一般財団法人沖縄美ら島財団所蔵


 『龍洲奇觀』は、琉球の絵師が絵を描き、日本の書家の詩と合わせて一つの本になっていて、琉球と日本の文化人との交流を示しています。
 10点それぞれ異なる花木と共に昆虫や鳥が描かれており、果実を狙う鳥や草花を移動する昆虫等、一瞬の動きをのぞきみているかのような、どことなくユーモラスに捉えられた鳥や昆虫たちの姿を見ることができます。

椿
 椿は琉球王国時代から、士族の庭に植えられ親しまれています。椿はその生命力の強さから、長寿を表すおめでたい模様としても好まれています。また春を告げる聖なる木とされ、子孫繁栄や厄除けの象徴とする吉祥文として、琉球王国でも古くから漆器や絵画等のモチーフとして描かれてきました。



『黒漆花鳥密陀絵箔絵食籠(くろうるしかちょうみつだえはくえじきろう)』
 制作年代:17世紀

  一般財団法人沖縄美ら島財団所蔵

 円形の口縁部に切り込みを入れた稜花(りょうか)と言われる形で、二段の食籠です。食籠とは、食物や供物を盛る器で、その蓋表、側面、高台の全てに椿を埋め尽くし、その間を鳥や昆虫が飛び交う華やかな図案になっています。植物性油に色の顔料を溶いたもので描く密陀絵(みつだえ)という技法が用いられており、漆絵とは違う柔らかな色合いが特徴的です。


 菊は中国から伝えられたとされており、白や黄、桃、紅色等品種も色も豊富な花です。中国の故事に「菊を浸した水を飲むと長寿を保てる」というものがあり、そこから不老不死・無病息災に効くとされ、長寿の象徴として捉えられています。放射状に広がる形や花の美しさも縁起のよいものとされ、琉球王国時代の漆器や陶器、紅型衣裳等に模様として用いられてきました。



『朱漆山水楼閣人物箔絵菊花形合子(しゅうるしさんすいろうかくじんぶつはくえきっかがたごうす)』
 制作年代:18世紀

 一般財団法人沖縄美ら島財団所蔵

 器の形そのものが菊の形を模しています。漆で模様を描いたところに金箔を貼り、余分なところを拭き取る箔絵という技法で、風景を描いた山水楼閣図と人物が描かれています。
茶道具として使われていたものと考えられています。

牡丹
 牡丹は「百花の王」ともいわれ、その花の美しさ、華やかさが人びとを魅了してきました。富貴の象徴として、中国や朝鮮、日本でもさまざま工芸品に模様として用いられています。琉球王国時代、首里城においても特に好まれ、正殿正面の唐破風にも牡丹の彫刻が施されていました。また漆器や金工品等の祭祀道具、紅型衣裳や絵画等の美術工芸品にも多く描かれています。



『苧麻白地牡丹枝垂桜両面紅型単衣裳(ちょましろじぼたんしだれざくらりょうめんびんがたひとえいしょう)』
 一般財団法人沖縄美ら島財団所蔵

 両面を染めた紅型の技法で作られた単の衣裳です。
 涼しげな苧麻の白地に牡丹、枝垂桜、鶴を配置し、丸の中に菖蒲が描かれています。一つの着物に花々が巧みに配置され、枝垂桜の枝の流れや鶴が飛び立つ様が動きのある、軽やかで華やかな様子を表現しています。



『焼締貼付牡丹唐草文植木鉢(やきしめはりつけぼたんからくさもんうえきばち)』
 制作年代:17世紀後半~18世紀前半
 一般財団法人沖縄美ら島財団所蔵

 牡丹と唐草を組み合わせた模様を貼り付けた植木鉢です。このように縁起の良い吉祥文を組み合わせて、より華やかで豪華なもようを描きだしている美術工芸品は数多くあります。
沖縄本島中部にある知花地域で、薩摩(鹿児島)をはじめとする日本国内への献上品としてつくられたものと考えられています。
 首里城内においてもこのような植木鉢は出土しており、琉球の士族以上の階層が使っていたと思われます。

 建物に見る植物文様
 

 首里城の入り口に建つ守礼門。中国の影響を受けた牌楼形式の門で、二層の屋根に柱で構成されバランスの取れた美しい門として、昔から親しまれてきました。
 その守礼門の軒丸瓦や下層受木鼻には、牡丹がデザインされています。軒丸瓦は、横や真上等いくつかの角度から見た牡丹が表現されているので、ぜひその違いを観察してみてください。また現在復元中の首里城正殿の軒丸瓦にも牡丹が取り入れられています。


守礼門の下層受木鼻(かそううけきばな)

守礼門の軒丸瓦(のきまるがわら)




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