赤瓦(あかがわら)の家並(いえな)み
- ホーム
- 各施設紹介
- おきなわ郷土村 おもろ植物園
- 施設紹介
- 赤瓦(あかがわら)の家並(いえな)み
沖縄の古民家でよく見る赤瓦は、朝鮮半島や中国、日本の技術がルーツだと言われています。17世紀以降の時代になると、琉球独自の瓦技術が発展するようになりました。
屋根の下地(野地)は棟上に丸竹を敷きならべ、山カズラやシュロ縄などを使って、野地竹がずれないように、垂木や丸竹の堅材と縛っていきます。その上に粘土を敷き、女瓦を3枚重ねとなるように少しずつずらしながら並べていきます。並べられた女瓦の間にさらに粘土を盛り付け、男瓦をかぶせます。男瓦は継ぎ目を合わす形となっています。仕上げに葺き土の乾燥を待って、漆喰で仕上げていきます。
屋根の上にシーサーが置かれるようになったのは明治以降で、琉球王国の時代にはありませんでした。おきなわ郷土村の入口にある集落シーサーは、八重瀬町(旧・東風平町)にある富盛のシーサー(県指定有形文化財)をモデルとしています。
屋根の下地(野地)は棟上に丸竹を敷きならべ、山カズラやシュロ縄などを使って、野地竹がずれないように、垂木や丸竹の堅材と縛っていきます。その上に粘土を敷き、女瓦を3枚重ねとなるように少しずつずらしながら並べていきます。並べられた女瓦の間にさらに粘土を盛り付け、男瓦をかぶせます。男瓦は継ぎ目を合わす形となっています。仕上げに葺き土の乾燥を待って、漆喰で仕上げていきます。
屋根の上にシーサーが置かれるようになったのは明治以降で、琉球王国の時代にはありませんでした。おきなわ郷土村の入口にある集落シーサーは、八重瀬町(旧・東風平町)にある富盛のシーサー(県指定有形文化財)をモデルとしています。