王家の秘宝
琉球王国時代、首里城には政治を行う行政機関「首里王府」が置かれ、正殿前の御庭など城内では様々な儀式や祭祀が執り行われました。同時に国王とその家族が居住する王宮でもありました。さらに首里城を中心に芸能や美術工芸品も生まれ、中国や日本など諸外国との長い交流の中で独自の文化が育まれました。今回は、王国時代の優れた絵画や漆器、染織品など王家に縁のある工芸品の品々を紹介いたします。今に受け継ぐ琉球のお宝の数々をご覧ください。
※作品保護の観点から、展示期間中、一部展示替えを行っております。
しんびょうず
神猫図(複製品)
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製作年代:雍正3(1725)年
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作者:山口(神谷)宗季(1672~1743) 唐名:呉師虔
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原資料:那覇市歴史博物館 横内家資料
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作者の呉師虔は、王府の絵師で、康煕42(1703)年に福建省に留学し、孫億ら福建の絵師に絵画の技術を学んだ。師の孫億と同じく呉師虔も花鳥図を得意とした。本資料は、神猫の毛先まで精緻に描かれている。那覇市歴史博物館所蔵の原資料は、沖縄県指定有形文化財に登録されている。
しゅうるしみつどもえもんぼん
朱漆三巴紋盆
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製作年代:19世紀
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盆の中央に大きく尚王家の紋章である三巴紋を描いている。浦添市美術館に同じデザインの盆があり、底には「御内原御用」と書かれている。本資料も首里城正殿後方の御内原で使用されていたものと思われる。御内原とは、国王や王妃の生活空間で、女官だけが入ることができ、男性が入れない大奥のような空間であった。
くろうるしししぼたんらでんいんろう
黒漆獅子牡丹螺鈿印籠
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製作年代:18世紀~19世紀
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本資料は、螺鈿細工で獅子と牡丹を表現した印籠。印籠の上下に篆書体で「天」と「上」という字が螺鈿で表現されている。王族が使用したであろう道具類によく刻まれているマークである。通常、道具の隠れた部分に刻まれた資料が多く、本資料のようにわかりやすい箇所に印された資料は少ない。また、「天」と「上」周辺には細かな花菱模様が丁寧に施されている。
くろうるしきっかちょうちゅうしっぽうつなぎちんきんじきろう
黒漆菊花鳥虫七宝繋沈金食籠
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製作年代:16世紀
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食籠とは、首里王府の儀式の際の飾り道具。日常の供物、食事入れ等にも使われた。本資料は、蓋の表に二羽の鳥と菊の花があり、側面に蝶・とんぼ・かまきり等の昆虫類を描いている。第三代国王の尚真王から久米島の神女、君南風に与えたといわれる丸櫃と図案が類似している。
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沖縄県指定有形文化財
くろうるしぼたんしっぽうつなぎちんきんじきろう
黒漆牡丹七宝繋沈金食籠
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製作年代:16世紀
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本資料は、現存するものでは最も古いタイプである。黒漆に沈金技法で牡丹七宝繋文様を描いている。全体が金色で覆いつくされているように見えるのが特徴である。
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沖縄県指定有形文化財
くろうるしうんりゅうらでんちょうほうけいとんだーぼん
黒漆雲龍螺鈿長方形東道盆
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製作年代:18~19世紀
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黒漆に螺鈿で、瑞雲と龍が描かれた大型の東道盆である。東道盆とは、食物を盛る容器で円形や方形が多く本資料のように長方形の物は少ない。中には形状に合わせ小皿がある。描かれている龍が五爪であることから、琉球王国時代の官営の漆器工房であった貝摺奉行所が、中国皇帝へ献上用に製作した物と思でわれる。那覇市歴史博物館所蔵の国宝尚家資料や北京故宮博物院にも同型の東道盆がある。
くろうるしうんりゅうらでんおおぼん
黒漆雲龍螺鈿大盆
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製作年代:17~18世紀
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本資料は、貝摺奉行所で中国への献上用として製作された螺鈿細工の盆。サイズは大・中・小あるが、デザインなど規格はほぼ定型化されていた。本資料は最も大きいタイプで、所在が確認できるのは世界で数枚しかない。首里城正殿の唐破風と似た火焔宝珠を取り合う双龍模様であるが、龍の爪が五本で正殿の龍より一本多いことから、中国皇帝への献上品として五爪の図案にしたものと思われる。
つむぎきいろじむるどぅっちりあわせいしょう(りゅうそう)
紬黄色地ムルドゥッチリ袷衣裳(琉装)
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製作年代:19世紀
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本資料は御絵図柄の衣裳である。御絵図とは、首里王府から久米島や宮古・八重山に織物の図柄を指示した図柄見本帳のこと。紬は、久米島で生産され貢布として首里王府へ納められていた。ムルドゥッチリとは、総絣という意味である。本資料のような御絵図柄の衣裳は、王族のために製作された衣裳である。
つむぎきいろじむるどぅっちりあわせいしょう
紬黄色地ムルドゥッチリ袷衣裳
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製作年代:18世紀
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本資料は御絵図柄の衣裳である。御絵図とは、首里王府から久米島や宮古・八重山に織物の図柄を指示した図柄見本帳のこと。紬は久米島で生産され貢布として首里王府へ納められていた。ムルドゥッチリとは、総絣という意味である。本資料のような御絵図柄の衣裳は、王族のために製作された衣裳である。本資料は、後年に琉装から和装に仕立て直されている。
ばしょうたてよこかすりいしょう
芭蕉経緯絣衣裳
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製作年:明治後半
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水の流れを示す絣「ミジグム」と「ピーマ」を経に置いたような絣、その二種類を大きく配置して織り上げた作品。絣の文様や構成方法をみると、織り手からの新しい試みを感じる。製作は、比較的新しい時代に行われたものと思われる。仕立ては和服の夏の振袖である。左右の身頃の柄をずらして背中心を合わせたのは、意識的なのか、自然とそうなったのか、とぼけた面白さがある。
きぬあさじろーとんおりいしょう
絹浅地ロートン織衣裳
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製作年代:大正初期
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ロートン織は、布の表・裏ともに経糸を浮かせて紋を作る技法で、絹糸の光沢が浮織のゴージャスな様をみせている衣裳である。本資料は、最後の国王尚泰の息子夫人が所有していたロートン織の反物と同じ布地であることがわかっている。
きぬきいろじうめかえでさくらゆきわてまりもんようびんがたあわせいしょう
絹黄色地梅楓桜雪輪手鞠文様紅型袷衣裳
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製作年代:19世紀
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本資料は、中国製の上質の絹をウコンで黄色の地色に染め、梅・桜・楓を鮮やかに描いた紅型衣裳である。雪輪紋様以外に手鞠のような文様が施されている。裏地にも赤地で上質の絹が使用され、中には真綿が入り超軽量な袷衣裳である。絹布の質、作品の完成度から、まさしく王家の人が使用した衣裳であろうと思われる。
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展示期間:4月20日(金)~5月3日(木)
もめんきいろじかすみにしだれざくらとぶとりきっかもんようひとえいしょう
木綿黄色地霞に枝垂桜飛鳥菊花文様単衣裳
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製作年代:19世紀後半~20世紀
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木綿綿を細かく手紡ぎした糸で織られており、平滑で軽い質感の布地である。数種類の型紙を用いて模様を描く「鎖大模様型」の文様構成で、肩の周りに松、その下に枝垂桜、中央から裾にかけて菊の間を飛び交う燕が描かれている。下段には大輪の菊花模様が施されている。
せんじもんしょ
千字文書
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製作年:道光15(1835)年
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製作者:尚育
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尚育は第二尚氏王統第18代の国王である。第17代国王である尚灝の摂政を経て、道光15(1835)年に23歳で国王となった。尚育は書に優れいくつか書が残されている。本資料は、尚育が即位した年に揮毫したものである。
しゅりはっけいし
首里八景詩
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製作年代:19世紀
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製作者:尚育
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この資料は、首里の風光明媚な場所といわれる通称「首里八景」(弁ヶ嶽・雨乞御嶽・弁財天堂・龍潭・虎頭山・崎山馬場・西森・萬歳嶺)を詠んだ詩であり、尚育が見た風景と思いを垣間見ることができる。
あおがいともえもんちらしあいくちこしらえ
青貝巴紋散合口拵
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製作年代:16世紀
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本資料の鞘は、方形の螺鈿を貼り、巴紋を散らして配している。鎺には篆書で「天」の字が刻まれ、笄・小柄の裏にも「天」、団扇文、「せいやりとみ」と刻まれている。これら「天」の字等から16世紀頃の琉球製の拵と思われる。また、本資料の拵袋は金襴緞子で、尚育王の御後絵に描かれた緞帳幕と似た蓮唐草模様である。本資料は、尚侯爵家旧蔵資料で王国時代の伝来資料であると思われる。
あおがいみじんぬりいんろうきざみさやあいくちこしらえ
青貝微塵塗印籠刻鞘合口拵
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製作年代:16世紀~17世紀前半
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本資料は、黒漆に微塵貝を全体に蒔き、透漆を塗り研ぎ出されている。国宝尚家資料の「青貝微塵塗用刀拵(号 北谷菜切)」に類似する。鎺の金具部分の表裏に巴紋が施され、笄の裏には篆書で「天」、その下に「せちあらとみ」そして分銅文が刻印されている。小柄の刀身の樋には、「文珠四郎」の名が刻まれている。本資料は、尚侯爵家旧蔵の資料で琉球王国時代からの伝来資料であると思われる。
しょうこうおうおごえ
尚灝王御後絵(彩色模写復元)
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製作年:平成28(2017)年
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原資料:19世紀
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作者:佐渡山安健
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唐名:毛長禧
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御後絵とは、国王が亡くなった後に描かれる肖像画である。原本は戦争で焼失し、鎌倉芳太郎氏によって戦前撮影されたモノクロ古写真のみが伝わる。かつては琉球国王の菩提寺である円覚寺の壁面に描かれた。その他控えとして大小の御後絵が製作され、古写真に写されているのはこの控えと考えられている。
復元事業は、東京文化財研究所の協力の下、東京藝術大学保存修復日本画研究室にて製作されたものである。
御後絵(おごえ)とは
御後絵とは、琉球国王が亡くなった後に描かれた肖像画です。
故鎌倉芳太郎氏(沖縄文化研究の第一人者)が戦前に撮影したモノクローム写真によって、第二尚氏の尚円・尚真・尚元・尚寧・尚豊・尚貞・尚敬・尚穆・尚灝・尚育の10人の御後絵が確認されています。戦前に御後絵を直接見た人たちが記した文献や証言では、紙本彩色や極彩色に彩られていたといわれています。しかし、御後絵は沖縄戦の戦禍に巻き込まれ、現存はこれまでに確認されておらず、鎌倉芳太郎氏が中城御殿にて撮影したモノクロ写真のなかにその姿が収められています。
御後絵は何処どこにあったのか
琉球王国時代は、首里城の北側の円覚寺(琉球国王の菩提寺)に御後絵はありました。もとは円覚寺仏殿の壁面に描かれていましたが、円覚寺がたびたび火災にあったため、1717年に王府絵師の山口宗季によりすべての御後絵が掛かけ軸じくに改装されました。また、控えとして大小の御後絵が製作されました。
琉球国王が着用した衣裳
琉球国王は、国王の即位式の冊封儀式や正月儀式等、国の重要な儀式や公式行事の際に正装として唐衣裳を着用しました。唐衣裳は、皮弁服とも呼ばれ、清の皇帝から琉球国王へ御蟒緞という絹織物が下賜され、琉球で衣裳に仕立てられたものでした。その布地には、清の皇帝の象徴として皇帝のみに使用された五爪の龍(蟒)の文様のほか、五色の雲や蝙蝠、八宝、寿山福海の吉祥文様が施されています。琉球国王が亡くなった後に描かれた肖像画「御後絵」には、唐衣裳を着用した国王の様子が描かれています。唐衣裳の実物は、玉冠や帯、靴などの関連衣裳一式とともに国宝琉球国王尚家関係資料として那覇市歴史博物館に所蔵されています。
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「国宝資料」を元にイベント用に復元された国王衣装
あかじけんざんりゅうずいうんもようきれ
赤地嶮山龍瑞雲模様裂
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製作年代:18~19世紀
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本資料は、龍の模様を施した裂地で、琉球国王が儀式等で着用した衣裳と同様の御蟒緞という絹織物である。元は衣裳だったものを仕立て直したものと思われる。琉球王国の外交文書集『歴代宝案』などの記録から琉球王国は、このような裂地を中国皇帝より下賜されていたことが判っている。
ちゃじしゅちんぬの
茶地繻珍布
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製作年代:清代
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本資料は、五色の雲、蝙蝠、八宝、五爪の金蟒、寿山福海の文様がほどこされた緞子織物である。金糸を使った龍(蟒)があることや繻子数および糸の質感・密度数から、中国皇帝から琉球国王へ下賜された「蟒緞」であると思われる。国王の唐衣裳は、本資料のような布地で仕立てたものである。
しゅちんのばっぐ
繻珍のバッグ
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製作年代:不詳
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琉球国王の唐衣裳の裂地と同じ御蟒緞という絹織物でつくられたハンドバッグ。王府が解体して明治になった後も尚王家の人々は、大事に保管しコートや、ハンドバッグなど近代風にアレンジして使用していた。本資料は、最後の国王である尚泰王の第四男、尚順男爵の実娘玉寄澄子氏より寄贈されたものである。
寄贈者:玉寄 澄子氏
くつ
靴
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製作年代:清代
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琉球王国の正装である唐衣裳の靴。ウカンクー(御官庫)とも称される。史料には、中国皇帝より琉球王国に下賜された品目に「靴」が記されている。本資料は、清朝の緞子織物を材料とした「緞靴」であると考えられる。
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お問い合せ先
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首里城公園管理センター
TEL:098-886-2020