真珠道

真珠道

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真珠道は、守礼門の近くから始まる、歴史ある重要な通りです。この名前は、その外観に由来しています。琉球の石灰岩のブロックを隙間なく敷き詰めて丁寧に舗装された表面は、1522年に作られた当時は白く輝いていました。真珠道は、主に略奪を行う海賊からの脅威に対する防衛を目的に首里城から那覇港に向かって兵士を派遣するために使われる主要な通りでした。約4キロメートルの長さで、この地域のインフラ整備において工学上重要な貢献をしました。真珠道は首里城の近くから始まり、首里の金城町を横切り、国場川の河口のそばを通って、那覇港の南岸の垣花まで続きます。他の通りと交差しているため、その他の拠点から出発した兵士も途中で合流することができました。真珠道は識名村を通っていたので、その後王とその側近が別荘の識名園に行く際にも使われました。真珠道の大部分はその後数世紀に渡って使われ続け、その他保存状態が良好な部分では発掘や研究が行われています。そのため、真珠道の設計と造設に関しては詳しく判明しています。

金城町石畳

真珠道の300メートルほどは現存し、現在では金城町石畳と呼ばれています。数世紀にわたる使用で磨耗していますが、首里城のすぐ南西の斜面に広がるかつて貴族の地区だった金城町を曲がりくねりながら横切ります。つる植物に覆われた古い石垣、そして木の枝が大きく張り出してトンネルのようになっていることで有名です。この状態が保たれているのは何世代にもわたって慎重に保全が行われてきたからで、第2次世界大戦でもほとんど被害を受けなかったことから首里の伝統的な街並みの雰囲気を今に伝えます。何本もの細い路地が枝分かれし、街の隠れ家的地区が多く存在しているので、来訪者は琉球の黄昏時代の日常生活の雰囲気の中を探検し、当時の空気を吸うことができます。

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