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円覚寺は首里城の北の城壁のすぐ外に位置した仏教寺院で、天徳山と呼ばれることもあります。1492年に尚真王によって第二尚氏王統の菩提寺として創建され、琉球王国における仏教の禅宗の臨済宗の総本山となりました。円覚寺は琉球で創建された最初の大規模な仏教寺院であり、日本、中国、そして朝鮮半島と琉球との間の文化的繋がりを表す重要なシンボルとなりました。また、琉球の王たちが東アジア文明を取り入れようとしていたことを雄弁に物語る史跡でもありました。数世紀の歴史の中で、何度も火災に見舞われ、その都度大規模な復元が行われてきましたが、円覚寺は1945年の沖縄戦で破壊されました。現在の総門は、1968年に復元が完了したもので、現存する唯一の木造の建造物となっています。
境内と配置
円覚寺の小さな境内は、急峻な段丘状になっており、高い石垣で囲まれています。円鑑池と弁財天堂のある西を向いており、これらの建築物と併せて独特の建築群を形成しています。全体の配置、そして名前の由来となったのは、それより200年以上前に建てられていた鎌倉の円覚寺です。中心を走る軸に沿って7つの主なお堂が明確に並べられるという配置は、仏教の禅宗の寺で一般的に見られる七堂伽藍と呼ばれる配置です。総門には元々2対の仁王像が立っており、くぐると石垣に囲まれた中庭につながります。中庭の中心には、放生池という4角形のハスの生えた池があります。放生池には、放生橋という、精緻な彫刻が施された中国様式の石橋がかけられており、これは中国から寄贈品として贈られたものであると考えられています。そこから順路を辿ると、急峻な石段につながり、登ると2階建の大きな山門があった場所にたどり着きます。そしてその先には、円覚寺の本堂である2階建の仏殿が中庭の中で存在感を放っています。その他の重要な建造物には、大殿、鐘楼、そして講堂がありました。
海外からの影響
円覚寺では、日本、中国、そしてひょっとすると朝鮮半島からの影響が、地元の琉球の素材や設計の感性と美しく融合されています。ひさしを支えた複雑な木造の腕木は禅の建築様式に典型的に見られるものですが、建造物は全般的にはモデルとなった日本の禅宗の寺院よりも大型でよりゴツゴツしたものとなっていました。石垣に囲まれた1つ目の中庭は、地面の中に沈んでいるかのように感じられ、近くの玉陵を想起させます。
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