龍潭

龍潭

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中国出身の琉球王朝の高官だった懐機は、1427年に尚巴志王から龍潭という大きな池を作るように命じられました。龍潭は、首里城が立つ丘の麓にある地形が平坦な場所に位置しており、この場所は主に中国からの使節団をもてなすために使われていました。龍潭には、首里城から円鑑池を通して流れる天然の淡水源からの水がひかれています。中国で造園を学んでいた懐機は、花を咲かせる木の植樹や首里城近くの人口の丘の造成を指揮しました。

優雅なもてなし

龍潭では、琉球の王たちの葬儀や即位式、またその他の祝賀で首里城を訪れていた中国からの使節団を水辺でもてなす場となりました。9月9日に行われる「重陽の儀」の祭りでは、優雅で気品のある龍舟のレースが開かれました。龍潭の水面に首里城が反射する景色は巧みに計画されたもので、その美しさは当然詩の中でも歌われています。龍潭には魚が放たれていたので、魚小堀(イユグムイ)とも呼ばれていました。

公営公園でもある上流階級のレジャースポット

龍潭は琉球王朝時代には王朝の人物のみが楽しめる場でしたが、道から一般の人も眺めることができたのでその美しさは多くの人が知っていました。1870年代に沖縄が日本に併合され、近くに学校が作られてからは、より一般の人に近い存在になりました。今では、池沿いの木が茂る涼しいエリアは沖縄の太陽から逃れられなくてはならない場となっており、来訪者は殊勝な造園と空とコントラストをなす首里城の美しい眺めを楽しむことができます。

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