奄美(あまみ)の民家

鹿児島県奄美大島(かごしまけんあまみおおしま)の民家 沖縄との(ちが)

奄美(あまみ)の民家は、鹿児島県奄美(かごしまけんあまみ)大島にあった民家をモデルにしたもので、一般(いっぱん)に主屋と台所【トーグラ】が分かれている二棟(とう)建てが特徴(とくちょう)です。主屋の間取りは、手前に客間として使われる【オモテ】があり、(おく)寝間(ねま)となる【ネショ】があります。のちに【ネショ】の中央に仕切りを入れて全体で3室へと発展(はってん)していきます。主屋と台所【トーグラ】は(わた)廊下(ろうか)【トイマ、カヨイ】でつながっています。【トーグラ】は(ゆか)()かれ、西端(はじ)にはかまどが(もう)けられており、炊事(すいじ)や食事をする所となっています。
郷土村(きょうどむら)内の他の民家では、(とこ)の間は、沖縄で上座(かみざ)(一番座())にあたる東側に南を向いて(もう)けられていますが、この民家の(とこ)の間【トコ】(または先祖(せんぞ)(たな))は、東側に西を向いて(もう)けられています。これは沖縄風の間取りと(こと)なるところです。
ここに表示(ひょうじ)された【カタカナ表記】は奄美(あまみ)の方言です。

奄美(あまみ)群島の歴史(れきし)
古代並行(こだいへいこう)期 奄美(あまみ)世【アマンユ】
縄文時代以降(じょうもんじだいいこう)、漁を中心とする文化が(いとな)まれる。7~8世紀(せいき) 日本が律令(りつりょう)国家を形成するなか、奄美(あまみ)群島も「南島(なんとう)」と()ばれ、朝貢(ちょうこう)が行われる。
中世 アジ世【アジユ】
10世紀(せいき)終末~13世紀(せいき) 「キカイガシマ」と()ばれ、日本本土と夜光貝(やこうがい)やアカギ(木材)の交易(こうえき)が行われる。農耕(のうこう)文化や鉄器文化も広がる。
琉球(りゅうきゅう)国統治(とうち)時代 那覇(なは)世【ナハンユ】 琉球(りゅうきゅう)王国誕生(おうこくたんじょう)後、15世紀(せいき)中頃(なかごろ)には(りゅう)(きゅう)王国の統治(とうち)下に入る。間切(まぎり)行政(ぎょうせい)単位)やノロなど、琉球(りゅうきゅう)王国の行政(ぎょうせい)機構(きこう)適用(てきよう)される。
薩摩藩(さつまはん)統治(とうち)時代 大和世【ヤマトユ】
1609年 薩摩藩(さつまはん)による琉球(りゅうきゅう)王国への侵攻(しんこう)により、薩摩藩(さつまはん)割譲(かつじょう)される。
明治・大正・昭和
明治時代 薩摩藩(さつまはん)は鹿児島県となり、奄美(あまみ)群島を(ふく)旧領(きゅりょう)継承(けいしょう)される。
米軍占領(せんりょう)統治(とうち)時代 アメリカ世【アメリカユ】
1945年~1953年 戦後、米軍占領(べいぐんせんりょう)統治(とうち)下となる。昭和28年、本土復帰(ほんどふっき)