首里城2026年マチカンティー

正殿と後宮の暮らし ─ (後編)


「正殿と後宮の暮らし」の続きです。前回は、きらびやかな平成首里城の正殿二階に隠されたヒミツを紹介しました。
南殿から入り、渡り廊下を進むにつれて、お線香の香りが漂っていました。これはイメージではなく、実際にそんな香りがしていたのです。正殿二階の南東側には、「おせんみこちゃ」という部屋があり、ここが良い香りの源でした。格子越しに、おせんみこちゃをのぞいてみると、二本の黒漆の柱があり、その間に祭壇が設けられ、香炉が置いてありました。ここで抹香が焚かれていたのです。琉球時代の正殿の雰囲気を香りでうったえる 、首里城公園のにくい演出ですね。

二階御差床の渡り廊下
画像提供:一般財団法人沖縄美ら島財団

おせんみこちゃの祭壇は、首里城の「火ぬ神」といわれています。沖縄の人ならすぐにピンときたのではないでしょうか。結構な割合で、各家庭の台所に祀られている、かまどの神様だからです。現代でも旧暦の朔日と十五夜日に手を合わせる身近な神様ですが、真栄平房敬著『首里城物語』によると、国王は女官を従えて、毎朝拝んでいたようです。身支度をすませた国王が、朝、最初にやる毎日の儀礼です。視覚、嗅覚を通して琉球国王の国を安寧に願う気持ちが伝わりますね。以前は北殿の売店で同じお香が販売されていたので(なお現在は女官居室で販売されています)、私も購入し、家で焚いてみました。王様気分で。賃貸マンションではあまり感じが出ませんでしたが。

おせんみこちゃ
画像提供:一般財団法人沖縄美ら島財団

首里城の開園当初の見学可能な御内原エリアは、正殿二階部分だけに限られていましたが、2014年1月に、黄金御殿・寄満・近習詰所、奥書院が追加公開となりました。発掘調査で得られた知見、戦前の写真や見学者の記録、沖縄戦時の米軍の航空写真(破壊される前)、古老からの聞き取りなど、あらゆる手がかりを結集させ、時間をかけて検討を重ね、復元が完成しました。御内原には他にも建物がありましたが、あまり情報は多くはなかったのです。

沖縄戦時の米軍の航空写真

写真提供:沖縄県公文書館

復元が完成後の航空写真

画像提供:一般財団法人沖縄美ら島財団

黄金御殿は、王族の居間であり、王妃のお部屋として使われていました。どのような使い方をしていたのか、詳細は不明です。
寄満は王族のお食事を作るお台所。腕を振るって料理を作る、王府お抱えの包丁人がいたようです。
なかでも尚灝王、尚育王、尚泰王と、琉球国王三代に仕えた包丁人の新垣筑登之親雲上淑規は、琉球菓子「ちんすこう」で知られる新垣家のご先祖様。この我々おなじみの「ちんすこう」ですが、王国崩壊まで、一般の人は口にするどころか、ほとんど見たこともなかったはずです。 まさに首里城で愛されたお菓子です。首里城の奥の世界を知ると、みなれた琉球菓子が特別なものに見えてきますね。首里城では、系図座・用物座において、ちんすこうはもちろん、その他琉球菓子が楽しめる呈茶サービスを行っておりますので、よろしければご利用ください。

琉球菓子が楽しめる呈茶サービス
画像提供:一般財団法人沖縄美ら島財団

奥書院は、南側に庭園を持ち、眺望もよく南風がそよぐお部屋です。国王が執務の息抜きに使っていたようです。そして、近習詰所は、文字通り、近習衆がいました。首里城の役人が国王に用があるときは、ここで取り次いでもらいました。政治の世界と、後宮の世界、表と奥をつなぐ重要な場所です。首里城御内原の生活は、まだまだ謎が多く、今後の研究に期待が寄せられます。

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