首里城2026年マチカンティー

若手職人インタビュー #01

上原 翔悟さん(株式会社 社寺建)

―上原さんは沖縄ご出身とのことですが、首里城正殿復元事業に携わることになったきっかけを教えていただけますか?

地元沖縄で高校を卒業したあと、しばらくしてから関東へ出て木造建築の仕事で8年ほど働いていました。28歳のときに沖縄に帰ってきて木造住宅や現場監督などの仕事をしていたのですが、その年の秋に首里城の火災が発生して・・・。

―首里城火災の一報を聞いたときはどんな気持ちでしたか?

もう、呆然としましたね。早朝から消防車のサイレンの音が聞こえてきて、とにかく信じられないという気持ちでした。ちょうど自分が生まれた頃に平成の復元(※平成4年)があり、首里城は生まれたときからあの姿であたりまえに在るものという感覚だったので。
火災後、わりと早い段階で再建に向けて動き出すという話を耳にしたときに、それまで社寺建築の経験は無かったんですが、ウチナーンチュとして自分も首里城の再建に携わりたいという気持ちがありまして。以前から何度か応援というかたちで時々関わらせてもらっていた文化財関係の会社を通じて、株式会社 社寺建に入社し復興事業に携わることになりました。

―現在、上原さんが担当されているのはどんな作業なのでしょうか?

「原寸型取り(げんすんかたどり)」の作業場

「原寸型取り(げんすんかたどり)」という作業になります。
棟梁が設計した各パーツを原寸場という広い場所でベニヤ板に記して型取りし実際に持ち出せる形にしていくという作業で、いわば“確認のための設計”です。

パソコンの画面上できちんと設計したものでも、実際のカーブがどんなふうに出るのか、やはり原寸大1分の1のやつを見ないと分からないんですね。目の錯覚というか視覚的な問題でちょっと思っていた感じと違うということもあるので、現場のみんなで原寸型でしっかり確認して最終的な数値を決めていくことが重要です。
特に正殿の正面に位置する「唐破風(カラハフウ)」と呼ばれる象徴的な部分は、アーチ部分の数値を何度も何度も調整していましたね。

作業資料

―この作業で難しいところはどういうところでしょうか?

そうですね、技術的に難しいというよりは、原寸図は棟梁や設計士さんたちのいろいろな思案があった中で決めている線なので自分の考えで1mmでもずらすことはできない、というところですね。データにあるそのままの線を、きちんと正確に作る。その点はいつも心がけています。

作業風景

原寸図作業のときはパソコンにデータでまず1本線を引いて、そこから数値を順に追っていくんですけど、だいたい小数点以下8桁ぐらいまで出るんですよ。そうなるともう人間の目では追い切れない。1mm以下の作業なんです。ほんの少しのずれで出来上がるものが大きく変わってきてしまうので、そういった意味では怖い作業だなと感じますね。

―原寸作業はお一人で担当されているとのことですが、上原さんが元々原寸作業に精通されていたからなのでしょうか?

いえ、それがまったく(笑)実際の建物の原寸図作成というのはこれまでやったこともなかったんです。
それなのに私が指名されたというのは、山本さん(※株式会社 社寺建 代表取締役の山本 信幸氏)に、沖縄の人にちゃんとこの作業をできるようになってほしいという考えがあってのことだと思っていて。私は今32歳なんですけど、現場の沖縄出身者の中では年齢がいちばん若いんですね。それで、技術を継承していくという面も考えてやらせてもらってるのかなと。そう受け取っています。

作業風景

―地元沖縄の人が次代に技術を継承していく。とても大切なことですね。
この原寸図は前回再建時の設計図をもとに同じものを作っているのでしょうか?

全く同じではなく、前回の資料を元にしつつ棟梁が新たに設計しています。
前回の再建時もきちんとした設計図があったのではなく、写真などの資料を見ながらこうじゃないかああじゃないかと設計を起こしていったようで、正確な寸法というのは無かったと聞いています。

作業風景

さらに今回レベルアップじゃないですけど、“より良いものを作るぞ”という気持ちがみんなにあるんですね。もちろん前回の再建時もそのときやれることを最大限やったと思いますが、前回を超えるということを強く意識しているからこそ、棟梁や設計士さんたちは検討に検討を重ねて何度も細かい修正を行いつつ設計しているんだと思います。

作業風景

―今回の首里城正殿復元作業にかける思いをお聞かせいただけますか?

沖縄県内の建築物はコンクリート造が多く、木造というのがあまりないんですね。だから木造住宅をやる大工さんが本当に少ない。年齢的なものでいうと、この現場に来ている大工さんで沖縄の人となると私ともう一人以外はみんな60歳以上で、40歳以下の若手は私の知っている範囲ではもうごく僅かです。
木造の「住宅」に関しては最近少し増えてきていますが、社寺建築で用いるノミやカンナなどの道具を使うような作業は無いんですね。なので、こういう伝統的な建築技術を持つ大工さんっていうのが、やはり沖縄県内ではほぼいない状態です。

インタビュー風景

そんな状況があるなかでこれから先、首里城正殿が建ったらそれで終わりではなく、メンテナンスも必要ですし南殿、北殿、鎖之間(さすのま)と復興作業は続いていきます。
今回のように沖縄県外から大工さんに来てもらってというのもそれはそれで良い面もたくさんあるんですが、いちばんはやっぱり地元の人が永続的に見ていける、守っていけるような環境にしないといけないのかなと。
そのためにはいろいろと課題はありますが、自分がここでできる限りの技術を吸収して、次に継承できるよう頑張っていきたいなと思っています。

取材日:2023年7月13日

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