首里城2026年マチカンティー

若手職人インタビュー #04

新垣 翔平さん(清水建設 株式会社)

―今回の首里城正殿復元事業に携わることになったきっかけを教えてください。

沖縄県内の高校を卒業してすぐ、18歳で清水建設に入社しまして、それから県内で7年間従事しました。その後、26歳のときに九州地区の福岡へ異動になり、福岡空港や熊本の工場、鹿児島のホテルなど九州地区をまわって様々な建築を担当した後、2023年4月3日に首里城の現場に着任させていただきました。

作業風景

自ら志願したというわけではないんですが、会社として人員を選んでいく中でやはり私が沖縄出身ということで、地元での技術の伝承という観点からも白羽の矢が立ったのかなと。実際口に出してはいないんですが私としてもなにかしら復興に携われたら、という想いが心の中にあったので素直に嬉しかったです。

―首里城火災の一報を聞いたときはどんな気持ちでしたか?

当時は九州にいたんですが、全国ニュースでも大々的に取り上げられていました。もちろんショックではあったんですが、それ以上に周りにいる職人さんたちが「首里城が!」「新垣、大丈夫か?悲しいやろ」とすぐに声をかけてきてくれて。「沖縄のシンボルだったのに」と、もう私よりも悲しんでいるんじゃないかと思うぐらい。
それを聞いて、ああ、首里城って沖縄県民だけのものじゃないんだな、と。県外の方にとっても、それぞれに思い出深い場所の一つになっているんだなっていうのを改めて感じたので、悲しみとともに「やっぱりすごいな、首里城は」という感動も若干ありました。

火災後間もない段階ではまだ復興事業の話はなかったんですが、前回の平成の復元の際にも私たちの会社が携わらせていただいていたので、もしかしたらという想いはありました。でもまさか、私までその話が下りてくることは無いのかなと考えていたので驚きましたね。

―新垣さんはどんな業務を担当されているのでしょうか?

私は施工管理の監督という立場で、主に施工に対する安全や品質、工程などの管理を行っています。現在正殿の作業場を囲んでいる鉄骨組みの「素屋根(すやね)」の施工時には屋根外壁工事を担当したり、最近では正殿に設置される石や木(もく)の組み方などを担当しております。職人さんたちに実際に手を動かしてもらうための段取りですね。工程準備や作業の流れ確認を行ったり、現場で打ち合わせをしながらいつまでにお願いしますと工期を調整していくといった作業もあります。

作業風景

―現場監督という業務で難しいと感じるのはどんなことですか?

そうですね、やはり機械ではなく人間の手でイチから作っていくものなので、あらかじめ見通しを立ててはいても思ったより作業が進まなかったり、ハプニングが起こったりということはあります。大工さんたちにしても、これだけの量の木(もく)工事というのはなかなか経験したことがないので、正直「やってみないとわからない」という部分も多いんですね。ですので、そのつど工程や日程調整を四苦八苦しつつやっています。

作業風景

あとはやはり首里城という特殊な木工事なので、自分も含めどうしても現場の経験値が圧倒的に少なく、こうだ!とはっきり分かることが少ない。ある程度のプロセスは一般建築と共通する部分もあるんですが、やはり細かい装飾だったり、釘やビスを使わない仕上げ、収まり具合といったことがすごく難しいなと感じます。

―業務にあたって心がけていることはありますか?

県民の誇りである首里城の工事に携わらせて頂いているということで、誇れる建物、そして誇れる建物づくりという部分を意識しています。それから今回の復興事業のコンセプトが「見せる復興」ということで、周りから見られても恥じないような作業姿勢を心がけています。

作業風景

私たち建築の仕事は基本的に仮囲いの中での作業になるので、普段は人から見られることが少ないです。特に監督業務、施工管理業務というのは説明が難しく、人によっては口先だけで人を動かしているというような感じに取られてしまうこともあるんですが、こうやって実際にヘルメットをかぶってあちこち回っている姿を見てもらえると、一般の方にも伝わりやすいのでありがたいなと思います。
私には娘が2人いるんですが、現場を見学しに来たときガラス越しに手を振ったんです。そうしたら帰ってから「すごく誇らしかったよ」と言ってくれて。ここで働いている姿を見せられて父親としても嬉しかったですね。

―首里城正殿復元作業にかける思いをお聞かせいただけますか?

皆さんのたくさんの想いが入った建物になると思いますので、それに恥じない建物、品質、安全、工程。すべてしっかり良いものを現場の作業員チーム一丸となって納めていきたいと思います。

作業風景

取材日:2023年11月21日

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