琉球の漆芸文化

琉球の漆芸文化

沖縄戦で消失した首里城が復元されて今年で25周年を迎えました。首里城公園では、この節目を記念し特別展を開催いたしました。その中で4つの企画展示を行い「琉球の漆芸文化」は最後の企画展示です。一般財団法人沖縄美ら島財団では毎年、散逸した琉球王国時代の美術工芸品を収集し、保存・継承に努めています。今回は、「琉球王国で育まれた漆芸文化」を総合テーマに、往時琉球王国内で使われた琉球漆器や進貢品、献上品として用いられ琉球王国を支えた漆芸品を紹介します。いずれも戦火を免れた王国時代の貴重な品々といえます。琉球の漆芸の世界をぜひご堪能ください。

(くろうるしぶどうりすちんきんじきろう)
黒漆葡萄栗鼠沈金食籠

黒漆葡萄栗鼠沈金食籠
  • 製作年代:16世紀
  • 黒漆の器面に豊穣・繁栄を意味する葡萄栗鼠文様を沈金技法で描く。沈金の彫りが細かいため、琉球の初期沈金資料の可能性がある。本来は円形の二段食籠であったが、蓋と身のみで身上段は失われている。

(くろうるしにちりんほうおうてんしゃごうしちんきんまるびつ)
黒漆日輪鳳凰点斜格子沈金丸櫃

黒漆日輪鳳凰点斜格子沈金丸櫃
  • 製作年代:16世紀
  • 黒漆に沈金で、古琉球期(1609年の薩摩侵攻以前)に国王を象徴したといわれる鳳凰が、日輪、瑞雲とともに描かれている。丸櫃は祭祀装具一式の内、勾玉を納めるものとしてノロ(神女)へ下賜された。本品に類似する丸櫃は現存する琉球漆器の中で最も古いとされる久米島の神女のものとして伝来している。刻まれた沈金の線は細かく鋭く彫り込まれており、16世紀の沈金技法の特徴が表れている。

(くろうるしぼたんしっぽうつなぎちんきんまるびつ)
黒漆牡丹七宝繋沈金丸櫃

黒漆牡丹七宝繋沈金丸櫃
  • 製作年代:16世紀
  • 黒漆に細かな沈金で七宝繋の地文に牡丹が描かれている。下部には16世紀の沈金文様にみられる二重界線を伴う縦横線文を廻らしている。
    レントゲン撮影の結果、木地は針葉樹の柾目材で、蓋甲板と身底板は数枚の板を接ぎ、蓋側面及び身側面は共に曲輪構造で、身は三段に重ね接がれている。

(くろうるしぼたんしっぽうつなぎちんきんじきろう)
黒漆牡丹七宝繋沈金食籠

黒漆牡丹七宝繋沈金食籠
  • 製作年代:16世紀
  • 黒漆に沈金で、牡丹七宝繋文様を描く。このような文様構成は16世紀から19世紀にかけてみられるが、沈金が細密なことから16世紀~17世紀の琉球の沈金の特徴を兼ね備えているといえる。食籠は儀式の際に御花(米)を入れる祭祀道具で、日常の供物、食事入れ等にも使われた。
  • 沖縄県指定有形文化財

(くろうるしさんすいろうかくほうおうちんきんうるしえたかつき)
黒漆山水楼閣鳳凰沈金漆絵高杯

黒漆山水楼閣鳳凰沈金漆絵高杯
  • 製作年代:17〜18世紀
  • 黒漆に沈金で、山水楼閣や人物、菊と思われる花、鳳凰が描かれている。京都の醍醐寺に所蔵されていたと箱書がある。脚部に鳳凰・点斜格子・縦横線文などの古琉球期(1609年以前)の沈金模様の特徴を配し、上部の見込部分は近世琉球期(1609年以降)に多くなる山水楼閣文となっている。琉球の沈金仕様の変遷を知るうえで重要な資料となる。

(しゅうるしともえもんぼたんからくさしっぽうつなぎちんきんわん)
朱漆巴紋牡丹唐草七宝繋沈金椀

朱漆巴紋牡丹唐草七宝繋沈金椀
  • 製作年代:19世紀
  • 朱漆に牡丹唐草模様や尚王家の紋章である左三ツ巴紋を、沈金技法で描く。王府の祭祀道具として伝来する国宝尚家資料の「美御前御揃」の仕様に類似することから、王府内での行事に使われた道具と思われる。なお、蓋のつまみ部分を中心に、後世、修理が施されている部分もみられる。

(しゅうるしさんすいろうかくじんぶつちんきんざら)
朱漆山水楼閣人物沈金皿

朱漆山水楼閣人物沈金皿
  • 製作年代:19世紀
  • 朱漆に沈金で、山水や楼閣、人物を描く。四枚揃いで残っており、琉球王国時代に量産されたと思われる。高台に青海波文を廻らし、18世紀の琉球の沈金漆器にみられる繋文が施されている。近世江戸期の富裕層が好んだ唐物(からもの)趣味(舶来品ブーム)に合わせて製作されたと思われる。

(くろうるしきくちょうしっぽうつなぎちんきんじきろう)
黒漆菊蝶七宝繋沈金食籠(部分)

黒漆菊蝶七宝繋沈金食籠(部分)
  • 製作年代:16世紀
  • 食籠の身上段部分で、表は黒漆塗り、内側は朱漆塗り。側面は沈金で七宝繋の地文様に菊と蜻蛉を描く。蓋と身が失われ、食籠の一部としてではなく上下逆さにし、盆として使用された形跡がある。資料の一部しか残されていないが、16~17世紀の古い沈金で図案が描かれた貴重な資料である。

(しゅうるしさんすいろうかくじんぶつはくえとぅんだーぼん)
朱漆山水楼閣人物箔絵東道盆

朱漆山水楼閣人物箔絵東道盆

  • 製作年代:18世紀
  • 客人をもてなす料理を納める道具で、中には中国製の陶磁器の皿が9枚入っている。蓋の表には箔絵で山水楼閣図が描かれ、四隅の脚部は獅子の顔から伸びた足が玉を掴んでいる。19世紀になると箔絵で山水楼閣図を描いた琉球漆器が量産されるようになり、本資料もその一つだと思われる。

(りょくしつさんすいろうかくじんぶつはくえろっかくじきろう)
緑漆山水楼閣人物箔絵六角食籠

緑漆山水楼閣人物箔絵六角食籠
  • 製作年代:19世紀
  • 緑の地色に、山水風景を望む建物の前で、数人の人物が語らう様子が箔絵で描かれている。蓋や身に多様な模様が描かれ、余白にも細かい金箔が施される。
    首里王府の漆器製作に関わる貝摺奉行所が製作した献上用の「黒漆山水楼閣螺鈿八角食籠」と木地構造や模様は類似しているが、本資料は初めて確認されるタイプである。
    献上タイプの山水楼閣図を、螺鈿から廉価な箔絵とし、金を箔粉蒔きとする工夫を行い、献上用の作例から民間注文用の漆器生産を行った可能性を示唆する資料である。

(しゅうるしかもんぼたんしっぽうつなぎはくえじきろう)
朱漆家紋牡丹七宝繋箔絵食籠

朱漆家紋牡丹七宝繋箔絵食籠
  • 製作年代:19世紀
  • 貝摺奉行所が製作に携わった円形二段食籠と木地構造(ボディ)がほぼ同一である。紋が入っているが、琉球の士族は家紋を持つ習慣はないため、厳密には道具紋として描かれたものである。
    首里王府が祭祀儀礼で使用する沈金の食籠の図案と類似しているが、沈金よりも廉価で製作できる箔絵で文様が描かれている。また、尚王家の紋ではないことから、琉球の士族階級の祭祀道具であると思われる。

(しゅうるしたからづくしはくえほうぼん)
朱漆宝尽箔絵方盆

朱漆宝尽箔絵方盆
  • 製作年代:18世紀
  • 朱漆塗りの四方盆。高台裏は黒漆塗りである。見込と鍔には箔絵で、花や蝶、蝉と思われる羽虫、巻貝、二枚貝などの吉祥文を埋め尽くす。鍔の窓枠外には七宝繋文が描かれる。箔の上から透漆を塗り白檀塗とし、針描きと黒漆で文様が描き込まれている。
    吉祥文の文様は、徳川美術館所蔵の「朱漆吉祥文箔絵丸櫃」の図案と類似する。
    箔下に黄色の顔料、また、数種類の箔の使用も考えられる。地塗の色味を変化させた箔粉蒔きが施されるなど、様々な表現技法で文様が描かれている。

(しゅうるしさんすいろうかくじんぶつはくえとぅんだーぼん)
朱漆山水楼閣人物箔絵東道盆

朱漆山水楼閣人物箔絵東道盆

  • 製作年代:18世紀
  • 中国製の陶磁器が5枚納められた東道盆。蓋の表は朱漆、側面は黒漆で塗られ、どちらも箔絵で山水楼閣図を描いている。脚部は四隅に獅子の顔から伸びた足が玉を掴んだ定型的な形になっている。類似資料がみられることから、量産された可能性がある。

(しゅうるしさんすいろうかくじんぶつはくえはっかくとぅんだーぼん)
朱漆山水楼閣人物箔絵八角東道盆

朱漆山水楼閣人物箔絵八角東道盆
  • 製作年代:19世紀
  • 八角形の東道盆。蓋の表には、箔絵で山水楼閣人物図が描かれ、蓋側面には沈金で吉祥文が描かれている。東道盆は中国皇帝や徳川将軍家、島津家への献上品、薩摩役人への贈答品であった。酒の肴を入れた用例が見られ、王府主催の宴席から士族の祝宴まで幅広く使用された。

(しゅうるしさんすいろうかくじんぶつついきんらでんよだんじゅうばこ)
朱漆山水楼閣人物堆錦螺鈿四段重箱

朱漆山水楼閣人物堆錦螺鈿四段重箱
  • 製作年代:18世紀
  • 朱漆に堆錦技法で装飾された四段重箱。山水楼閣図の岩を表現するため、数種類の色漆をマーブル状に練り合わせているのが特徴である。四隅には夜光貝を使った螺鈿細工が施される。

(しゅうるしらんぼたんからくさついきんちんきんらでんかたなかけ)
朱漆蘭牡丹唐草堆錦沈金螺鈿刀掛

朱漆蘭牡丹唐草堆錦沈金螺鈿刀掛
  • 製作年代:18世紀後半~19世紀初期
  • 全体は朱漆塗りで、側面は沈金で牡丹唐草文様を描く。黒漆塗り部分は菊花の文様を金箔で施し、周囲は螺鈿(夜光貝などを使った技法)をちりばめている。顔料を混ぜた漆を用いる堆錦技法で蘭(東洋蘭の一種)を描くなど、小品ながら琉球漆器の特徴をとりいれた作品である。

(くろうるしうんりゅうらでんちょうほうけいとぅんだーぼん)
黒漆雲龍螺鈿長方形東道盆

黒漆雲龍螺鈿長方形東道盆
  • 製作年代:18~19世紀
  • 黒漆に螺鈿で、瑞雲と龍が描かれた大型の東道盆。東道盆は食物を盛る容器で、通常、中には銀、石、陶器、漆器の皿が納められ、形は円形や方形などがある。本資料と類似する品は国宝「琉球国王尚家関係資料」や北京故宮博物院にみられる。中国皇帝への献上品として製作され、形態や文様などは形式化していたと考えられる。

(くろうるうんりゅうらでんおおぼん)
黒漆雲龍螺鈿大盆
(くろうるしうんりゅうらでんぼん)
黒漆雲龍螺鈿盆(中型サイズ)
(くろうるしうんりゅうらでんぼん)
黒漆雲龍螺鈿盆

黒漆雲龍螺鈿大盆

  • 製作年代:17〜18世紀
  • 火焔宝珠を中心に、2双の龍が描かれた盆。貝摺奉行所で中国皇帝への献上品として制作された。サイズは大・中・小あり、大タイプは八等分の寄木造り、中タイプも構造は違うが寄木造り、小タイプは寄木造りと一木造りの事例がある。製作仕様や規格は若干の違いがみられるものの、ほぼ定型化していたと思われる。
    琉球側の記録では、『歴代宝案』などの記録に琉球王国が崩壊するまで康煕5(1666)年以降、数十回にわたり数百枚の献上がみられる。実際に少タイプの資料は北京故宮博物院に数百枚残されている。

(くろうるうんりゅうらでんおおぼん)
黒漆山水楼閣人物螺鈿硯屏

黒漆山水楼閣人物螺鈿硯屏

  • 製作年代:18〜19世紀
  • 硯屏とは、硯の前に置く衝立のこと。風や塵を防ぐ機能のほか、鑑賞用として用いられた。表面は、芭蕉の側で詩作にふける詩人の様子を描き、裏面は絵の内容を漢詩で詠んでいる。両面とも夜光貝等を用いた螺鈿細工で描かれている。『琉球漆器考』にも献上品として製作されていたことが紹介されている。

(くろうるしさんすいろうかくらでんさげじゅう)
黒漆山水楼閣螺鈿提重

黒漆山水楼閣螺鈿提重
  • 製作年代:18世紀
  • 提重とは、重箱や酒瓶、皿等を箱に納めたもので、野外へ飲食物を持ち運ぶ道具として使用された。
    黒漆に螺鈿の提重の作例は他にみられ、明治22年、琉球漆器についての調査報告書としてまとめられた『琉球漆器考』に、寛延2(1749)年製の貝摺(螺鈿)の提重が記録されている。また戦前、沖縄を調査した鎌倉芳太郎も識名園で本資料と類似した、螺鈿で山水楼閣図の図案を表現した提重を写真撮影している。

(くろうるしさんすいろうかくらでんちゅうおうじょく)
黒漆山水楼閣螺鈿中央卓

黒漆山水楼閣螺鈿中央卓
  • 製作年代:18世紀
  • 中央卓は香合などを載せ、床飾りに用いられた。黒漆に螺鈿で山水楼閣など中国風の文様が施された品は、国内の上級士族が用いた他、徳川将軍家への献上品であった。

(くろうるしさんすいろうかくじんぶつらでんはっかくじきろう)
黒漆山水楼閣人物螺鈿八角食籠(台盆付)

黒漆山水楼閣人物螺鈿八角食籠(台盆付)

  • 製作年代:19世紀前半
  • 黒漆に螺鈿で、山や川、建物、庭園で遊ぶ人物が描かれている。首里王府が薩摩藩主や大名、徳川将軍等に献上した典型的な資料と言える。上部の八角の食籠部分は現存資料がいくつか伝来しているが、下部の台盆と一対での現存する事例は本資料のみである。

(くろうるしかちょうみつだえはくえじきろう)
黒漆花鳥密陀絵箔絵食籠

黒漆花鳥密陀絵箔絵食籠
  • 製作年代:17世紀
  • 稜花形で二段の食籠である。蓋表、側面、高台の全てに椿を埋め尽くし、その間に鳥や昆虫が飛び交う華やかな図案となっている。植物性油で色の顔料を溶いたもので描く密陀絵が用いられており、漆絵とは違う柔らかな色合いが特徴的である。地色の黒漆部分には、金箔粉を蒔いている。

(しゅうるしかちょうしっぽうつなぎみつだえちんきんぼん)
朱漆花鳥七宝繋密陀絵沈金盆

朱漆花鳥七宝繋密陀絵沈金盆
  • 製作年代:16~17世紀
  • 見込・鍔・高台外側が朱漆、底裏が黒漆の丸盆。木地構造は経年のゆがみや重量の軽さから鍔が木製の薄いテープをコイル状に巻いて成形する巻胎技法を用い、見込が板を継いだものと想定される。三輪の咲いた椿の間に枝に留まる二羽の鳥、枝の下方にはまだ蕾の椿、この鳥が留まった椿の間に三羽の蝶が飛んでいる図案となっている。枝は箔絵だが、椿、鳥、蝶は密陀絵で描かれている。鍔は、中央に開花した椿の両脇に蕾の椿の図案を三方に配し、その間を蝶が三羽飛んでいる。鍔裏も同じ図案となっている。見込の鳥の頭部の金箔や背の黒漆部分は後世修理と思われる。尾の灰色かかった青色部分は剥落が激しいが製作当初と思われる。沈金の刻線の特徴として、見込の七宝繋が同一方向に整然と彫られている。本資料は、徳川美術館所蔵の朱漆花鳥七宝繋密陀絵沈金御供飯の加飾技法に類似している。特に御供飯の内容物中央の足付盆の沈金仕様が本資料と類似している。

(しゅうるしかちょうしっぽうつなぎみつだえちんきんうくふぁん)
朱漆花鳥七宝繋密陀絵沈金御供飯(復元)

朱漆花鳥七宝繋密陀絵沈金御供飯(復元)

  • 製作年代:原資料16~17世紀前半 徳川美術館所蔵
  • 復元製作:2012年
  • 御供飯とは、首里王府が祭祀儀礼で使用した祭器で、本資料は徳川美術館が所蔵品を復元製作したもの。原資料とみられる記述は、元和2(1616)年、徳川家康が没し、尾張徳川家初代藩主の徳川義直(家康九男)に贈られた遺産目録『駿府御分物帳色々御道具帳』にみられる。そのため、元和2年以前に製作されたことが分かる。16~17世紀前半の琉球漆器の沈金や密陀絵の技法研究にあたって、基準資料となる重要な資料である。

(しろみつだかちょうはくえぼん)
白密陀花鳥箔絵盆

白密陀花鳥箔絵盆
  • 製作年代:17世紀
  • 密陀絵とは、顔料を桐油や荏油などの植物油で溶いた「油飾」と呼ばれる塗りの一種で、油の乾燥剤として一酸化鉛(密陀僧)を混入することから密陀絵と呼ばれる。特に白色は漆を混ぜると発色しないことから漆器製作に取り入れられた。文様も密陀絵で、花や葉を描いた後に金で縁取りを施している。図案は太湖石に植生した椿に鳥が飛び交う構図となっている。木地構造、図案とも形式化も量産されていった。後世には同じ図案で漆絵・箔絵の事例も見受けられる。
    レントゲン撮影の結果、鍔(盆の縁部分)は針葉樹を薄く帯状に削った巻き上げ構造で作られている。

(ヤウキン)
夜雨琴

夜雨琴
  • 製作年代:原資料18世紀後半 徳川美術館所蔵
  • 復元製作:2006年
  • 表面は桐で製作され、外側はタガヤサン(鉄刀木、マメ科)で製作されている。表面は彩色で山水楼閣人物が描かれ、上にタガヤサンの柱が2本置かれる。弦・金具は真鍮で製作され、撥は竹製に金箔が貼られている。イラン発祥の楽器といわれ、中国を経て琉球へ伝わったと考えられる。現在の中国にある夜雨琴は、大型化し形態が異なっている。

(チャンセン)
長線

夜雨琴
  • 製作年代:原資料18世紀後半 徳川美術館所蔵
  • 復元製作:2006年
  • 棹・糸巻き・胴部と楽器全体が漆で塗り込まれている。樹種は特定できないが、比較的軽量の材で製作されている。胴表裏面は桐、糸掛け部分はタガヤサン(鉄刀木、マメ科)で製作され、金箔が貼られる。
    黒漆を塗った上に、胴表裏、側面、棹の表裏等ほぼ全面に、龍・鳳凰・薔薇・吉祥文などが箔絵・漆絵の技法により装飾されている。同様な形態の楽器は非常に珍しく、愛知県知立市の無量寿寺に残されるのみである。

お問い合せ先
首里城公園管理センター
TEL:098-886-2020
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