琉球王国時代に首里城を彩り、王族や士族の生活を豊かにしていた美術工芸品には、さまざまな文様が取り入れられています。色鮮やかな花や植物、流れる水や雲等の自然現象と共に、生き生きとした動物の姿が表されています。身近にいた動物を描いた作品もあれば、伝説的な想像上の生き物を描いて、琉球王国時代の人びとの願いや祈りを表したものもあります。それらは現代のわたし達に、往時の人びとが動物に注いだ眼差しを伝えています。
鳥(とり)
沖縄の自然環境の中では、実に多種多様な鳥を見ることができます。鳥が空を飛んでいる姿は、今も昔も人びとにとって憧れや自由の象徴ではないでしょうか。紅型衣裳をはじめ、絵画や漆器等さまざまな調度品に、燕や鶴、水鳥等いろんな種類の鳥が描かれており、生き生きと飛び回る様を今に伝えています。
もめんあさじなみにちどりもんようびんがたひとえいしょう
木綿浅地波に千鳥文様紅型単衣裳
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木綿の青色地に波と千鳥が描かれた紅型衣裳。青い波間に千鳥が舞う表現が美しい。
もめんみずいろじつるにゆきもちささうめかすみびんがたひとえいしょう
木綿水色地鶴に雪持笹梅霞紅型単衣裳
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木綿の水色地に鶴や笹の上に積もった雪、梅、霞などが描かれた紅型衣裳。さまざまな植物と鶴と小鳥たちの配置がリズムを生み、自在に飛んでいるさまを表現している。
とぅんびゃんしろじはなかごつばめもんようりょうめんびんがたひとえいしょう
桐板白地花籠燕文様両面紅型単衣裳
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透明感のある白い桐板地に藍の濃淡で燕の文様が描かれている。藍型といわれる紅型の技法。桐板で作られた衣裳はそう多く残っていない。尚家資料に類似図案で、空色地花籠燕文様紅型苧麻衣装がある。
ちょまあさじくもとりまつしだれざくらつばめもんようびんがたいしょう
苧麻浅地雲取に松枝垂桜燕文様紅型衣裳
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苧麻に地色は青色で、表裏両面とも藍で染められている。朱と黄色の鮮やかな瑞雲、枝垂桜と燕という季節感にこだわらない図案構成が琉球的な特徴。
ちょまあさじさくらまつくもりょうめんびんがたあわせいしょう
苧麻浅地桜松雲両面紅型袷衣裳
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青色の雲を背景に、流水、松、桜が配置されその間を鶴が優雅に飛んでいる様が描かれている。沖縄文化研究の第一人者、鎌倉芳太郎が戦前に収集した紅型型紙コレクションの中に、同柄のものがある。
とうけいず とうけいはなたれのず
闘鶏図(闘鶏はなたれ之図)
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製作年代:推定19世紀
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作者:泉川寛英(いずみかわ かんえい) 唐名:慎思九(しんしきゅう)
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泉川寛英は乾隆37(1767)年に生まれ、19歳にして絵師となり、第17代尚灝王のもとで活躍した。山水図、花鳥図などを得意とし、歴代国王の御後絵(国王の死後に描かれる肖像画)制作の助手に任命されている。
とうけいず とうけいはやふさのず
闘鶏図(闘鶏早房之図)
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製作年:道光23(1843)年
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作者:佐渡山安健(さどやまあんけん) 唐名:毛長禧(もうちょうき)
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佐渡山安健は、20代で王府の宮廷画家として活躍し、尚育王の御後絵の制作などに功績があった。作画によって国王から褒美を賜った記録があり、『闘鶏花房之図』とともに尚育王の愛鶏を描いたものと思われる。
かちょうず こうきへいじゅつかちょう
花鳥図(康熙丙戌花朝)
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製作年:康煕45(1706)年
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作者:孫億(そんおく) 雅号:于峰(うほう)
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孫億は、清朝初期に福建で活躍した絵師。孫億のもとには、石嶺伝莫(琥自謙)、上原真知(査秉信)、山口宗季(呉師虔)など、多くの琉球人絵師が学んだ。孫億は、花鳥虫草図を得意とし、弟子である山口の画風にも多大な影響を与えた。
かちょうず こうきへいじゅつしゅんじつ
花鳥図(康熙丙戌春日)
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製作年:康煕45(1706)年
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作者:孫億(そんおく) 雅号:于峰(うほう)
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多くの琉球人絵師たちの師である孫億は、花鳥虫草図を得意としていた。本作では、右上に伸びる桜の上につがいの鳥が上下逆にとまり、さらに右下方には別のつがいの鳥が地面をついばんでいる。さまざまな花が咲き乱れ、鳥や虫が登場する春らしい描写である。
しゅうるしかちょうしっぽうつなぎみつだえちんきんうくふぁん ふくげん
朱漆花鳥七宝繋密陀絵沈金御供飯(復元)
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復元製作:2012年 原資料/16~17世紀前半
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御供飯とは、首里王府が祭祀儀礼で使用した祭器。本資料は、徳川美術館が所蔵する御供飯を復元製作したもの。元和2(1616)年、徳川家康が没し、尾張徳川家初代藩主の徳川義直(家康九男)に贈られた遺産目録『駿府御分物帳色々御道具帳』に、その御供飯と思われる記述が残されている。
栗鼠(りす)
いくつもの実をつけるブドウと子どもをよく産むとされるリスの組合せは、おめでたい文様として、琉球では漆工芸品によく用いられています。首里城正殿内にある玉座の下の須弥壇にも描かれています。
くろうるしぶどうりすらでんはくえつくえ
黒漆葡萄栗鼠螺鈿箔絵机
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製作年代:16世紀
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この机は、漆で模様を描いて金箔を貼り、余分な金箔を取り除く箔絵の技法と、厚みを均一にした夜光貝を貼った螺鈿の技法で、葡萄・栗鼠の図柄を描いている。
くろうるしぶどうりすはくえらでんじょく
黒漆葡萄栗鼠箔絵螺鈿卓
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製作年代:17世紀
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この卓は、漆で模様を描いて金箔を貼り、余分な金箔を取り除く箔絵の技法で、全体の文様を描いている。葡萄の房に、螺鈿の技法を用いて厚みを均一にした夜光貝を貼り、アクセントを効かせている。
くろうるしぶどうりすらでんはくえはっかくぼん
黒漆葡萄栗鼠螺鈿箔絵八角盆
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製作年代:17世紀
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金箔を使った箔絵の技法と夜光貝を使った螺鈿の技法でリスやブドウを描いており、金色と貝の虹色に輝く組合せが美しい色合いをかもし出している。リスのしっぽがいろんな方向を向いていて、動きのある愛らしさが表現されている。
くろうるしぶどうりすらでんはくえきゃらばこ
黒漆葡萄栗鼠螺鈿箔絵伽羅箱
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製作年代:17世紀
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伽羅箱は、香木や沈香などの香料を入れるための容器である。葉の大部分に赤色の強い金箔が使われ、栗鼠は白色の貝が選ばれており、コントラストをつけている。栗鼠が勢いよく動き回る様が表現されている。
くろうるしぶどうりすはくえじきろう
黒漆葡萄栗鼠箔絵食籠
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製作年代:17世紀
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食籠とは、祭祀の時、食物を入れて祭壇に置く容器である。箔絵の技法を用いてブドウとリスが描かれている。
くろうるしぶどうりすちんきんはっかくじきろう
黒漆葡萄栗鼠沈金八角食籠
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製作年代:16~17世紀
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黒漆の器面に地紋の七宝繋紋や点斜格子紋がなく、葡萄の中に栗鼠が遊ぶ構図を生き生きと沈金技法で描いている。沈金の彫りがシンプルであるため、かなり古い時期の資料だと思われる。琉球初期の沈金技法を知る上で重要な資料である。
猫(ねこ)
猫はとても身近な動物です。家で飼われていたり、近所でなじみの猫がいることも少なくありません。一方で琉球王国時代に猫を描いた作品は、現代にも大事に伝えられているものがあります。琉球の人びとにとっても、共に暮らす身近な存在だったのではないでしょうか。
しんびょうず
神猫図
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作者:武永寧(ぶえいねい)
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平成29年度に収集した作品で、今回初公開。『沖縄文化の遺宝』に掲載されている鎌倉芳太郎が戦前に尚順男爵家で撮影した『神猫図』(伝・座間味庸昌)の図と似ており、落款が本作と同じではないかと思われる。今後の『神猫図』研究にも興味深い作品である。
げっかしんびょうず
月下神猫図
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製作年:明治32(1899)年
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作者:仲宗根真補(なかそねしんぽ) 唐名:査丕烈(さひれつ) 雅号:嶂山(しょうざん)
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仲宗根真補は琉球王府最後の絵師。西洋画の技法を取り入れているところが特徴的で、背景に大きな月を半円で描き、菊とすすきを巧みに配置した構図や猫の毛を細かい描写で丹念に描く等、随所にその影響が見られる。
虎
中国の故事によれば「虎はほえて風をよぶ」と、とても能力のある人が機会を得て奮起することを意味しており、中国では古くから、虎は龍とセットでとても力のある生き物として神聖視されてきました。虎は風、龍は鳴いて雲を起こすとされ、その組合せが王と臣下の関係にも例えられ、東アジアの地域において画題として好まれたところもあるようです。
とらのず
虎之図
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製作年代:18世紀
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作者:熊代熊斐(くましろゆうひ) 雅号:繍江(しょうこう)
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熊代熊斐は肥前長崎の人。画を渡辺秀朴に、のち清朝の画家の沈南蘋に学び、長崎で活躍した。本資料は、葉を残す枯れ木を背景に野原に立つ虎を描いた図。とくに虎の背中や尾の毛並みは、南蘋が伝えた没骨画法(輪郭を加えず水墨や彩色で形を表現する技法)がいかされ写実的である。
とらのず
虎の図
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製作年代:19世紀
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作者:泉川寛道(いずみかわかんどう) 唐名:慎克煕(しんこっき)
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慎克煕は、王府の絵師だった慎思九(泉川寛英)の三男で、王府の絵師と考えられる。本資料は、松が生える岩を背景に置きつつ、原野に立つしなやかな姿態の虎を描いた図。なお、本図も南画の影響を受けた描写となっている。
とらのず
虎の図
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製作年代:19世紀
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作者:古波蔵長光(こはぐらちょうこう) 唐名:鄭元覲(ていげんきん) 雅号:宏橋(こうきょう)
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鄭元覲は、書家で有名な鄭嘉訓の長男。画才にも優れ、本作では、岩にとりつく虎のユーモラスな表情が表現されており、毛並みは繊細に描かれている。なお、本図には沈南蘋から熊代熊斐に伝えられた南画の技法の影響が感じられる。鄭元覲がいつ、どこで南画の技法を習得したのかは不明。
とらのず
虎之図
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製作年代:19世紀
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作者:古波蔵長光(こはぐらちょうこう) 唐名:鄭元覲(ていげんきん) 雅号:宏橋(こうきょう)
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虎の絵画作品はいくつかあり、王府の絵師が好んで書いた題材である。作者の鄭元覲は書画が得意で、書家で有名な鄭嘉訓の長男。全体に墨画で描かれているが、目だけに青が入っている。
鳳凰(ほうおう)
鳳凰は中国では古くから、麒麟・霊亀・龍とともに四霊(四瑞)の一つとされ、崇められてきました。雌雄二羽で描かれることから夫婦和合のシンボルともされています。鳳凰は「平和の象徴」でもあり、国王を象徴する文様として、王家の使用する祭祀道具をはじめ、漆器や紅型衣裳等に用いられています。
くろうるしにちりんほうおうくもてんしゃこうしちんきんまるびつ
黒漆日輪鳳凰雲点斜格子沈金丸櫃
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製作年代:16世紀
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黒漆に沈金で日輪(太陽)や鳳凰、瑞雲を描いている。刻まれた沈金の線は、細かく鋭く彫り込まれており、古い時代の琉球の沈金技法の特徴があらわれている資料である。
りょくうるしぼたんほうおうちんきんかくぼん
緑漆牡丹鳳凰沈金角盆
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製作年代:18~19世紀
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朱漆に沈金で牡丹と鳳凰を描いている。その周囲を緑漆で囲み、箔絵で花と七宝繋紋を描いている。沈金と箔絵をふんだんに使い黄金色に輝くはなやかな作品に仕上がっている。
しゅうるしともえもんほうおうしっぽうつなぎちんきんまるびつ
朱漆巴紋鳳凰七宝繋沈金丸櫃
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製作年代:18世紀
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尚王家の紋章である巴紋と鳳凰を沈金で描いた丸櫃。図案は艶やかである。しかし地模様の七宝繋は、16~17世紀に作られた沈金漆器の細かな七宝繋と比較すると、大きく描かれていてかなり違っている。16~17世紀のものと比較すると模様が簡略化されており、製作年代がかなり新しいものと思われる。
きんぱい みつおかざりどうぐ
金杯_三御飾道具(複製)
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金製。鍛造。内側と外側は別々に製作し合わせている。内側を縁で外方向へ折り返す覆輪になっている。胴の部分には、鳳凰が2匹と飛雲文、立ち上がり部分に16弁の蓮弁を打ち出している。国王専用の杯である。
ぎんあらいだい みつおかざりどうぐ
銀洗台_三御飾道具(複製)
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鳳凰4羽と飛雲文を打ち出し毛彫を施しており、魚々子は不清冽に打ち出している。銅部は、12弁輪花形で1ヶ所が注口になる。各面には、菊と牡丹を交互に打ち出している。
しゅうるしほうおうはくえまるびつ
朱漆鳳凰箔絵丸櫃
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製作年代:18世紀
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朱漆に箔絵技法で鳳凰を描いた丸櫃。神女が勾玉・扇などの装身具を入れていた道具であると思われる。
くろうるしろうかくじんぶつらでんかんす
黒漆楼閣人物螺鈿冠笥
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製作年代:16世紀
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冠の形に合わせ蓋が深く、身の浅い合口印籠形式の冠笥である。総体黒漆塗りで、螺鈿で正面の冠の額部分にあたる箇所に楼閣人物を描き、その上部には瑞雲の中に左右対称の鳳凰を一対配置している。冠笥後部には花樹草木を螺鈿で描いている。琉球漆器にこのような冠を入れる容器の類例はこれまでない。
くろうるしにちりんほうおうずいうんてんしゃこうしちんきんまるびつ
黒漆日輪鳳凰瑞雲点斜格子沈金丸櫃
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製作年代:16世紀
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太陽・鳳凰・雲を沈金技法で描いている。久米島にも同じような丸櫃が残っており、沖縄県指定文化財となっている。このような丸櫃は国王からノロと呼ばれる地方の神女に与えられたものだと思われる。
きぬももいろじほうおうずいうんかすみびんがたひとえいしょう
絹桃色地鳳凰瑞雲霞紅型単衣裳
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製作年:平成17(2005)年
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作者:城間栄順
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左右に方向を違えた鳳凰とその周りに瑞雲が配置され、霞文様が上下で挟むという大胆な構図になっており、格調高い雰囲気を醸し出している。古い型紙を参考に製作されており、大模様型の紅型である。
ちょましろじほうおうとおうぎぼたんもんようりょうめんびんがたひとえこどもいしょう
苧麻白地鳳凰と扇牡丹文様両面紅型単子供衣裳
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製作年代:19世紀
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苧麻に表裏を染めている。左右対称に鳳凰と牡丹、扇面を取り合わせた模様。鳳凰は、龍とともに王族を象徴する霊獣として様々な工芸品に描かれた。富貴の象徴である牡丹と組み合わせた豪華な図案となっている。
ぼたんほうおうまるもようびんがたいしょう
牡丹鳳凰丸模様紅型衣裳
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製作年:平成17(2005)年
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丸模様の中に鳳凰が描かれ、その丸模様を取り囲む形で牡丹の花が配されている。牡丹は、富貴の象徴でもあるといわれ、王族の象徴ともいえる鳳凰が同時に描かれている図案となっている。この紅型は、戦前に鎌倉芳太郎氏によって収集された古型紙を参考に製作された。
獅子(しし)
琉球では、14・15世紀の中国との交流が盛んだったころにもたらされたとも考えられている獅子。「シーサー」とも呼ばれ、沖縄には石製・陶製の獅子像があります。古い石製の獅子は、沖縄本島中部や南部の古い集落の境界などで、病気や火事などのあらゆる災いごとをはね返す魔除けとして置くところがあります。
くろうるしししらでんちゅうおうじょく
黒漆獅子螺鈿中央卓
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製作年代:17~18世紀
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本作品は、貝摺奉行所が製作した大型の中央卓であると思われる。このような中央卓は、主に江戸上りの時、将軍に献上品として持参されたものである。夜光貝を使った螺鈿細工で、獅子を繊細に描いている。
龍(りゅう)
権力を持つものの象徴として描かれてきた龍は、国王の身の回りの調度品や首里城の中にも数多く見られます。たとえば徳のある国王を龍に見立て、王を慕ってやってくる家臣たちを瑞雲(めでたい雲)に見立てたデザインは、古くから東アジアで好まれました。また、龍は水中にすみ、時に空に昇って雲を起こし、雷雨をもたらす神聖な動物とされ、大蛇に似て、全身が鱗で覆われ、角や長い口ひげがあるのが特徴です。旱続きの大地に雷雨をもたらす龍は富の象徴であり、そのように国土に恵をあたえ富ます龍は、良き国の統治者であるあかしでもあるのです。
くろうるしらでんぼん
黒漆雲龍螺鈿盆
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製作年代:18世紀
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火焔宝珠を中心に2双の龍が描かれた盆。王府の漆器製作に関わる貝摺奉行所で中国皇帝への献上品として製作された。サイズは大・中・小あり、製作仕様や規格は若干の違いがみられるものの、ほぼ定型化していたと思われる。
きぬりんずべにいろじりゅうほうじゅずいうんもんようびんがたあわせいしょう
絹綸子紅色地龍宝珠瑞雲文様紅型袷衣裳
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製作年:平成17(2005)年
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作者:藤村玲子(ふじむられいこ)
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濃い紅色地に火焔宝珠と龍、周囲に瑞雲を配し、隙間なく染め尽くされており、まさに国王の権威を象徴した風格ある逸品といえる。本資料は、国宝に指定されている尚家資料に残された紅型衣裳を復元したものである。
もめんしろじゆきわきくいなづまにりゅうのまるもんようりょうめんびんがたいしょう
木綿白地雪輪菊稲妻に龍の丸文様両面紅型衣裳
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製作年代:19世紀
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木綿に藍一色で染める「藍型」の技法で製作された衣裳。菊や牡丹、四爪の龍を丸文や雪輪文の中に配置し、稲妻の中を落ちていくような構図になっている。
こうじんかんしょ
高人鑑書
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製作年:道光18(1883)年
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作者:高人鑑(こうじんかん)
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高人鑑は、尚育王を冊封するために来琉した冊封副使である。出身は、浙江銭塘の人。五爪の龍が天空を飛んでいる勇壮な墨画である。おそらく高人鑑が中国から持参した紙に書いて琉球人に贈ったものと思われる。
白澤(はくたく)
中国の伝説上の黄帝が白沢と出会い、万物の知識を授かり、鬼やわざわいを取り除く術を『白沢図』という書物にまとめたことがはじまりとされています。白澤は万物の情報に通じ、人のことばを理解し、災いを取り除くことができる神獣として知られており、その白澤を描いた図「辟邪絵」を持っていれば災いを避けることができると信じられていました。そのためさまざまに描かれた「白澤」の図が存在しています。
はくたくのず
白澤之図
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製作年代:17世紀前半
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作者:城間清豊(ぐすくませいほう) 唐名:欽可聖(きんかせい) 号:自了(じりょう)
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沖縄県指定有形文化財
作者の自了は、琉球の歴史上、絵師では最も古い人物。口と耳が不自由だが絵の素質は抜群であったといわれ、中国から来た冊封使や、日本の狩野派の絵師たちに絶賛された。
*展示は複製