琉球王国のもよう~王国の技~
琉球王国時代の美術工芸品は、国王や士族、その家族たちの日常生活を彩り、祭祀儀礼や年中行事を形作るものとして使われてきました。さらに国家体制を維持するためにも重要であった中国や日本等諸外国との交流において、貢物・貿易品としても製作されていました。
今日に伝わる漆芸品には、繊細に文様を彫りこむ沈金やきらびやかな螺鈿、文様が金色に輝く箔絵、立体的で鮮やかな色彩を残す堆錦、白や淡い色合いを表現した密陀絵等、複数の技法がみられます。染織衣裳には、色鮮やかに花鳥風月を染めた紅型や高度な技術で織られた絣や花織等があり、多種多様な染織技術をみることができます。
これらの工芸品が多彩に発達してきたのには、王府の機関として貝摺奉行所が設置され、製作の工程に合わせて専業とする職人や絵師が任命されていたことや、税としての貢納布を久米島や宮古・八重山地方から納めさせていたこと等が深く関わっています。国家としての体制だけでなく、琉球の気候や自然環境等の特性を活かし、また外国との交流の中で影響を受けながら、その技に磨きをかけて生み出されてきたのです。
現代に受け継がれてきた技やもようの美しさをお楽しみ下さい。
もめんひいろじつるにまつかわびしりゅうすいきくもんようりょうめんびんがたあわせいしょう
木綿緋色地鶴に松皮菱流水菊文様両面紅型袷衣裳
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大模様。白地型。両面染め。緋色の木綿地に松皮菱と、流水に菊と梅の花、鶴と亀が染められた冬衣裳である。地色の鮮やかな緋色は、色材非破壊分析の結果、「朱」と白色の「鉛白」を混色した明るい赤であることが分かった。
ちょましろじぼたんしだれざくらりょうめんびんがたひとえいしょう
苧麻白地牡丹枝垂桜両面紅型単衣裳
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大模様。白地型。両面染め。白苧麻地に、牡丹、枝垂桜、霞の中に鶴と丸に菖蒲の模様が染められている。色材分析の結果、牡丹の赤色は「臙脂」と「鉛白」、同赤紫色は「臙脂」と「藍」と「鉛白」、桜の濃青色は「ベロ藍」、同薄青色は「ベロ藍」と「鉛白」、赤色の霞は「朱」、同黄色は「石黄」であることが分かった。
しろじきくうめびんがたひとえいしょう
白地菊梅紅型単衣裳
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細模様。白地型。両面染め。琉球紅型の型紙や裂地を蒐集した『鎌倉芳太郎資料集 紅型見本・裂』の中に、本資料と同様の木綿地に細模様が多く見られる。脇に襠のある琉装仕立である。
もめんしろじいなずまにゆきわきくしょうちくばいびんがたひとえいしょう
木綿白地稲妻に雪輪菊松竹梅紅型単衣裳
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大模様。半白地型。両面染め。白木綿地に、4色の稲妻模様と大小の雪輪模様の中に菊や梅、松竹模様が染められている。色材分析の結果、稲妻模様の赤色は「朱」、濃い紫色は「臙脂」と「藍」、橙色は「朱」と「石黄」、青色は「ベロ藍」と「鉛白」であることが分かった。
きぬりんずべにいろじりゅうほうじゅずいうんもんようびんがたあわせいしょう
絹綸子紅色地龍宝珠瑞雲文様紅型袷衣裳
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作者:藤村玲子(ふじむられいこ)
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製作年:平成17(2005)年
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濃い紅色地に火焔宝珠と龍、周囲に瑞雲を配し、隙間なく染め尽くされており、まさに国王の権威を象徴した風格ある逸品。本資料は、国宝に指定されている尚家資料に残された紅型衣裳を復元。
ちょまももいろじうめかえでまつとりなみひしつなぎもんようびんがたあわせいしょう
苧麻桃色地梅楓松鳥波菱繋文様紅型袷衣裳
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作者:玉那覇有公(たまなはゆうこう)
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製作年:平成17(2005)年
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細文様。白地型。朧型。異なる2枚の型紙を用いて染める「重ね型」、別名「ウブルガタ」(朧型)といい、難度も高い。ワタンスと称され、冬の表衣として上から羽織って着用する。広袖、広衿で脇に襠を付してゆったりとはおり、襟を返したときに朧型の紅型が表れ、アクセントとなっている。リバーシブルに仕立てられており、裏地の取り合わせが着る人の美意識を表す。
もめんきぬこんじてじまあわせいしょう
木綿絹紺地手縞袷衣裳
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経糸に2色の絹糸を撚り合わせた杢糸(ムディー)を用いて作られた絣。緯糸は木綿糸になっている。色の保存状態は良く、美しい絣の衣装である。
もめんてじまどぅじん
木綿手縞胴衣
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2色の糸を撚り合わせた杢糸(ムディー)を用いて作られた絣。後に付けられたと思われる紬の御絵図柄の返しが付いている。表と裏に違う生地を使い、色々な生地で仕立てられている。仕立ては布に直接腰紐が縫いつけられており、比較的新しい胴衣の形態。
しゅじたてよこがすりいしょう
朱地経緯絣衣裳
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作者:平良敏子(たいらとしこ)
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製作年:平成8(1996)年
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本資料は、縦縞と絣の組合せによる「綾中(アヤヌナーカー)」という模様構成の作品である。綾中模様の上布または芭蕉布衣裳は、琉球王国時代の王族の夏衣裳であった。
本資料は琉球王国時代の模様をもとに創作された作品である。地色・縞・絣模様は、福木・山桃・茜・琉球藍で染められている。
きいろじたてよこがすりいしょう
黄色地経緯絣衣裳
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作者:平良敏子(たいらとしこ)
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製作年:平成8(1996)年
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本資料は、那覇市歴史博物館所蔵『黄色地格子鳥二の地文様絣苧麻衣裳』をもとに芭蕉糸で再現された作品である。格子と絣の組合せによる模様を「手縞」という。黄色地上布(苧麻布)絣は、琉球王国時代の王子夫人の夏衣裳であった。本資料は、芭蕉糸による復元品である。芭蕉布は王家や王府の日常着や公式な服として、庶民の日常着として、または中国や大和への贈答品として用いられた。
ふかあさじはなくらおりいしょう
深浅地花倉織衣裳(復元)
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作者:祝嶺恭子(しゅくみねきょうこ)
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製作年:平成19(2007)年
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本資料は『ベルリン国立民族学博物館 琉球・沖縄染織資料調査報告書(資料編)』のNo.6645「絹深浅地絽織衣裳」をもとに再現された作品である。現在の首里花倉織の両面浮織と絽織の市松模様ではなく、全面に絽織が一列に並び、その上に両面浮織が構成された技法は、他に例がなく貴重な一品であるといえる。
しゅうるしともえもんぼたんちんきんすかしぼりあしつきぼん
朱漆巴紋牡丹沈金透彫足付盆
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沈金技法で尚家の紋章である巴紋と牡丹を描いている。側面は、菊を透彫で表現しており、彫刻の間には金箔が貼られている。このような足付盆は、祭祀用酒器などを置く盆として使用された。
くろうるしぼたんしっぽうつなぎちんきんまるびつ
黒漆牡丹七宝繋沈金丸櫃
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黒漆に細かな沈金で描かれ、七宝繋の地文に牡丹も細かく表現されている。製作時には、花模様全体が金色に輝いていたものと思われる。下部には、16世紀の沈金文様の特徴である、二重界線を伴う縦横線文を廻らす。(萬野裕昭コレクション)
くろうるしぶどうりすちんきんはっかくじきろう
黒漆葡萄栗鼠沈金八角食籠
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黒漆の器面に地紋の七宝繋紋や点斜格子紋がなく、葡萄の中に栗鼠が遊ぶ構図を生き生きと沈金技法で描いている。沈金の彫りがシンプルであるため、かなり古い時期の資料だと思われる。琉球初期の沈金技法を知る上で重要な資料である。八角形の二段食籠で、中段に供物などを入れて祭祀儀礼で使用されたものと思われる。
しゅうるしさんすいじんぶつちんきんとぅんだーぼん
朱漆山水人物沈金東道盆
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尚家資料や北京の故宮と同じ方形タイプの東道盆。ただし、大きさは、やや小ぶりである。
蓋の天板、側面に沈金で山水人物図を描いている。蓋の肩には、払子、宝巻(巻子)、七宝繋などの吉祥文(おめでたい文様)が沈金で描かれている。東道盆の中にあったと思われる懸子や小皿は残念ながら失われている。(萬野裕昭コレクション)
しゅうるしかちょうじゅうはくえわん
朱漆花鳥獣箔絵椀
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この椀は、腰の部分に膨らみのある形をしており、草花の間に鹿、鳥、栗鼠などの動物が箔絵で表わされている。花の部分に色漆で彩色を施してあり、珍しい方法である。
くろうるしぶどうりすらでんはくえりょうしばこ・すずりばこ
黒漆葡萄栗鼠螺鈿箔絵料紙箱・硯箱
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葡萄と栗鼠を螺鈿と箔絵技法で描いている。たわわに実った葡萄と、子供をたくさん産む栗鼠は、多寿・多福をあらわすおめでたい模様である。(萬野裕昭コレクション)
しゅうるしぼたんちょうはくえふばこ
朱漆牡丹蝶箔絵文庫
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木製朱漆塗りの文庫。文様は箔絵と箔絵蒔絵で表現されており、岩や牡丹などは緑漆または黒漆の上から箔粉蒔絵を施している。蓋表には岩に牡丹と蝶が描かれ、側面には窓枠を設け内に牡丹唐草、枠外に花菱繋、下部にも細かく唐花唐草が表されている。(萬野裕昭コレクション)
しゅうるしさんすいろうかくじんぶつついきんさげじゅう
朱漆山水楼閣人物堆錦提重
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堆錦技法で山水楼閣人物図を描いた提重。提重とは、徳利・杯・杯用の盆を収納し、外出の際に用いることのできる携帯用の重箱セットである。堆錦は、18世紀以降盛んに用いられるようになったが、提重に堆錦技法が使われた例はほとんどなく、珍しい資料である。
しゅうるしさんすいろうかくついきんとぅんだーぼん
朱漆山水楼閣堆錦東道盆
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4本のやや高く細い猫足が付いた、東道盆。岩や樹木、楼閣(建物のこと)を堆錦技法により立体的に描いている。外面は朱漆塗り、内面と底裏は黒漆塗り。ただし、中に皿は収められていない。レントゲン撮影の結果、蓋や底板は数枚の板を接いでいることがわかり、接合部には木釘が用いられている。(萬野裕昭コレクション)
くろうるしぎんなしじぼたんちょうはくえうるしえみつだえぼん
黒漆銀梨子地牡丹蝶箔絵漆絵密陀絵盆
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木製朱漆塗りの盆。見込中央に窓枠を儲け、外側を箔絵で麻葉繋文を表し、窓枠内側は朱塗りの上から黒漆塗りに銀粉を蒔き、密陀絵で牡丹の花と蝶を描く。(萬野裕昭コレクション)
うるみぬりかちょうみつだえはくえよつわん
潤塗花鳥密陀絵箔絵四ツ椀
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木製朱漆塗りの盆。下地は赤っぽい灰白色、上塗りは朱漆塗りに縁周りをオレンジがかった朱で塗りなおしている。見込中央に窓枠を儲け、外側を箔絵で麻葉繋文を表し、窓枠内側は朱塗りの上から黒漆塗りに銀粉を蒔き、密陀絵で牡丹の花と蝶を2匹描く。牡丹の細部は針描で表現する。(萬野裕昭コレクション)
くろうるしさんすいろうかくじんぶつらでんだな
黒漆山水楼閣人物螺鈿棚
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琉球王国にお茶文化があり、正月には国王や王子、行事に出席した役人へ御茶が振舞われた。本資料は茶道具を納める器局として伝わっているが、器局としては大きめで、実際にどのように使われたのかはっきりしていない。
くろうるしさんすいらでんちゅうおうじょく
黒漆山水螺鈿中央卓
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黒漆に螺鈿で、山や川などの自然の風景が描かれた中央卓である。中央卓は床の間を飾る調度品で、上の台には香炉を置き、下の台には、一輪挿し等に花をいけた。首里王府が、薩摩藩主や大名、徳川将軍等に献上した典型的な工芸品である。また首里城南殿や書院等の床の間にも、このような中央卓が使用されたものと思われる。
とうけいず とうけいはなたれのず
闘鶏図(闘鶏はなたれ之図)
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作者:泉川寛英(いずみかわかんえい)
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唐名:慎思九(しんしきゅう)
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泉川寛英は乾隆37(1767)年に生まれ、19歳にして絵師となり、第17代尚灝王のもとで活躍した。山水図、花鳥図などを得意とし、歴代国王の御後絵(国王の死後に描かれる肖像画)の制作の際、助手に任命されている。
とうけいず とうけいはなふさのず
闘鶏図(闘鶏花房之図)
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作者:佐渡山安健(さどやまあんけん)
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唐名:毛長禧(もうちょうき)
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製作年:道光23(1843)年
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佐渡山安健は、20代で王府の宮廷画家として活躍し、尚育王の御後絵(国王の死後に描かれる肖像画)の制作などに功績があった。この闘鶏図は、道光23(1843)年に尚育王の命によって描かれたことが、彼の一族の事跡を記した『家譜』から判明している。作画により国王から褒美を賜っていることから、尚育王の愛鶏と思われるが、当時琉球では闘鶏が盛んだったようである。
とうけいず とうけいはやふさのず
闘鶏図(闘鶏早房之図)
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作者:佐渡山安健(さどやまあんけん)
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唐名:毛長禧(もうちょうき)
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製作年:道光23(1843)年
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この闘鶏図には落款はないが、作風と筆遣い、そして同時期に描かれたといわれる『闘鶏花房之図』の表装にも同じ裂地が使用されていることから、尚育王の命により描かれた『早房之図』と考えられている 。
はくたくのず ふくせい
白澤之図(複製)
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作者:城間清豊(ぐすくませいほう)
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唐名:欽可聖(きんかせい)
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号:自了(じりょう)
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原資料製作年代:17世紀前半
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白澤は、徳の高い王の治世に現れる想像上の動物。作者の自了は、歴史上、琉球の絵師では最も古い人物。口と耳が不自由だが絵の素質は抜群であったといわれ、中国から来た冊封使や、日本の狩野派の絵師たちに絶賛された。自了の絵と伝えられる作品は数点あるが、この絵は落款等もあり、確実に自了の絵といえる唯一の作品である。
きんごゆさんのず
琴碁遊山之図
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作者:仲宗根真補(なかそねしんぽ)
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唐名:査丕烈(さひれつ)
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雅号:嶂山(しょうざん)
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山水図の中に書を認める人物、囲碁を楽しむ人物、琴を従者に運ばせている人物、茶を入れている人物を四方に巧みに配した構図である。遠景の岩と中景、近景の人物の間に竹などの樹木を配し、画面を引き締めている。査丕烈は王府末期の絵師で琉球王国が解体し、沖縄県となった後も絵師として活躍した人物である。山水人物図は近世末期に献上用として制作された漆工品にもよく使われた図案である。
きじんのうふたいわず
貴人農夫対話図
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作者:泉川寛英(いずみかわかんえい)
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唐名:慎思九(しんしきゅう)
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山あいの狭い道で馬上の貴人と、農夫が対話しているところを描いている。泉川寛英は乾隆37(1767)年に生まれ、19歳にして絵師となり、第17代尚灝王のもとで活躍した。山水図、花鳥図などを得意とし、歴代国王の御後絵(国王の死後に描かれる肖像画)の制作の際、助手に任命されている。
しょうたいおうしょ
尚泰王書
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作者:尚泰(しょうたい)
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尚泰王は琉球最後の国王。書の内容は「『詩書万巻』(儒教を表す)には『聖賢』(先人)の政治への『心』が表れている」というもの。
うらそえおうじわか
浦添王子和歌
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作者:浦添朝熹(うらそえちょうき)
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唐名:尚元魯(しょうげんろ)
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浦添王子朝熹は、道光15(1835)年に国相となり、咸豊2(1852)年まで17年間もこの職にあった。薩摩藩とも関係の深い、京都の香川景樹に和歌を学んだ。
当時、琉球の王族や上流階級は琉歌だけでなく、和歌のたしなみもあった。
和歌の意味:
菫(すみれ)
草むらを分け入って行くと、遠い山野に来てしまった。そこには坪菫(つぼすみれ)がある。「坪菫を摘もう。では先に」と腕を伸ばしたら、草につく露で私の袖は濡れてしまったことであるよ。
やきしめはりつけぼたんからくさもんうえきばち
焼締貼付牡丹唐草文植木鉢
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釉薬を使用しない焼物で、牡丹唐草の文様を植木鉢本体に貼り付けている。首里城内でも出土しており、琉球の士族以上の人物が使用したものと思われる。
いろえかもん かもんいり ついびん
色絵花文(家紋入)対瓶
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釉薬の上に赤や緑等の顔料を使って絵や文様を描く、色絵という技法で作られている瓶である。元々は二本あり対になっている事から対瓶と呼ばれ、祭祀儀礼の際に使われた。琉球王国の伊江殿内と呼ばれる旧家に伝わった資料といわれ、琉球の士族層が使っていたことが分かる資料である。
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首里城公園管理センター
TEL:098-886-2020