琉球人のピクニックへようこそ
今年も清明祭(シーミー)の季節がやってきました。心地よい風の吹くこの季節、沖縄では先祖が眠るお墓の掃除や墓参りを行い、親族そろって墓前で先祖と食事をする光景をよく目にします。清明祭は、首里ではウシーミー(御清明)といい、旧暦2月後半から3月後半に行われていますが、琉球王国時代から続く沖縄の年中行事のひとつです。また、旧暦の3月3日に健康を祈願して行われる浜下りや、旧暦5月4日に海の安全などを祈願して行われる爬龍船競漕(ハーリー)なども古くから屋外で行われる風習や行事です。それらの風習や行事のなかで「祈り」とともに重要だったのが「食」でした。琉球の人々は様々な道具を使い、屋外でも食事を楽しんでいました。
本展示会では、琉球王国時代に屋外へ携帯する目的で製作された漆芸品である重箱・提重・湯庫などを展示紹介いたします。それぞれの器物には、先人たちの知恵と工夫の跡が窺える上に、さらに王家や士族階級で使用された漆芸品は、沈金や堆錦、箔絵、螺鈿等のさまざまな技法で加飾された豪華なものです。展示される漆芸品はすべて、首里城公園を管理運営する一般財団法人沖縄美ら島財団が所蔵する資料で、18世紀~19世紀に製作されたものです。これらの漆器を通して、琉球王国時代の優れた技術にふれるとともに、琉球の人々の「ピクニック(行楽)」に思いを馳せてみませんか。
なはこうず
那覇港図(複製)~那覇港の繁栄を表現~
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原資料製作年代:19世紀中頃
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中国から帰国した進貢船、競漕する爬龍船、薩摩の船などが描かれており、琉球王国時代、那覇港が栄えていた様子を表現している。また爬龍船競漕を見物する琉球の人々、薩摩の役人、船や馬の玩具を売っている露天商など、当時の風俗を知る上でも貴重な資料といえる。
「那覇港図」に描かれた重箱
「那覇港図」は、中国から帰国した進貢船や停泊する薩摩の船などが描かれ、琉球王国時代の那覇港の繁栄を表現した絵図です。この資料は、垣花(*1)側から対岸の渡地(*2)や那覇港、三重城(*3)を見渡す構図で描かれています。古くは「浮島(うきしま)」とも呼ばれた那覇は海に囲まれていましたが、戦前や戦後の埋立てなどにより地形を変えています。
「那覇港図」のなかには、ユッカヌヒー(旧暦5月4日)に行われた爬龍船競漕(ハーリー)(*4)の様子と、それを見物する琉球人や薩摩役人の姿が描かれており、行楽の場を彩る重箱が並べられているのにも注目できます。
*1.垣花(かきのはな):現那覇市小禄。王国時代は儀間村(ぎまむら)発祥の地。
*2.渡地(わたんじ):現那覇港の一部(那覇市港町)。対岸の垣花への渡場(わたしば)があったことから王国時代は「渡地村(わんじむら)」と呼ばれた。
*3.三重城(みえぐすく):現ロワジールホテル那覇の裏(那覇市西)。
*4.爬龍船競漕(ハーリー):一般には豊漁や海の安全祈願が行われることで知られる。王国時代の那覇では国家の安泰と人民の平安が祈願された行事。
重箱をひろげて~それぞれの爬龍船競漕(ハーリー)見物~
*以下、描かれたものより一部抜粋して紹介します。
【屏風の右(第一扇~第二扇)】
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渡地(わたんじ)にて朱漆塗りの重箱や
青い酒器(?)など並べて談笑
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小舟から子どもたちと朱漆塗りの重箱を囲みながら
見物する大人や子ども
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迎恩亭(げいおんてい)で重箱を背に見物する薩摩役人たち
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小橋(こばし)付近にて。子ども二人は人形遊びに夢中
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通堂(とんどう)より臨海寺(りんかいじ/沖の寺)までの
途中の小橋(こばし)と大橋(おおはし)の間で、
黒漆塗りの提重(?)などを置いて
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【屏風の左(第四扇~第六扇)】
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遠く住吉宮(すみよしぐう)から見物する琉球の人々。絵の手前は子どもたち、奥は士族の大人たち。朱や黒漆の重箱にはどんな料理が入っているのでしょうか
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臨海寺(りんかいじ/沖の寺)の下で朱漆や黒漆塗りの重箱を前にする琉球の士族たち。日傘を持っている人はお供の方でしょうか
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朱漆塗りの重箱や茶家(ちょか/チューカー:土瓶)など囲む臨海寺(りんかいじ/沖の寺)のお坊さんたち
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しゅうるしさんすいろうかくじんぶつついきんらでんよだんじゅうばこ
朱漆山水楼閣人物堆錦螺鈿四段重箱 ~漂う詩情、立体的なマーブルと螺鈿でさり気なく表現~
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製作年代:18世紀
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琉球漆器の代表的な技法である堆錦技法を用いた四段重箱。山水楼閣図の岩を表現するために、数種類の色漆をマーブル状に練り合わせて丁寧につくっているのが特徴である。四隅には夜光貝を使った螺鈿技法を用いている。
くろうるしぼたんちょうちょうぼくみつだえあみばりじゅうばこ
黒漆牡丹蝶彫木密陀絵網貼重箱 ~風が通り抜けていきます~
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製作年代:19世紀
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黒漆塗りの蓋表に牡丹と蝶の模様を薄くレリーフ状に彫り、黄土や白、赤、緑などで彩色している。風通しを考慮した重箱で花文状の網が用いられており、その網に通されたビーズ玉は花のかたちを際立たせる装飾である。
しまづけかもんいりちんきんだんじゅう
島津家紋入り沈金段重 ~丸に十文字は島津のしるし~
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製作年代:19世紀中頃
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鹿児島からの注文で製作された琉球漆器ではないかと思われる。唐草文様の中に描かれている「丸に十文字」は島津家の家紋である。もう一つ描かれている家紋は、「星梅鉢」である。朱漆に線刻彫りをした中に金箔を埋める沈金という技法を用いている。
くろうるしぼたんからくさらでんさげじゅう
黒漆牡丹唐草螺鈿提重 ~枠の隅々までいい仕事しています!!~
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製作年代:18世紀
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螺鈿を用いて牡丹・唐草の文様を描いている。外枠の縁は花菱文、外枠天板裏の棚に菱形文、宝珠形透彫の側面の縁に石畳文を螺鈿で施している。枠の外面は黒漆、内面は朱漆が塗られている。
くろうるしさんすいじんぶつらでんちんきんさげじゅう
黒漆山水人物螺鈿沈金提重 ~描かれた文人の「たしなみ」~
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製作年代:18世紀
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黒漆塗りに螺鈿で山水人物を描き、枠外などに朱漆に沈金で七宝繋文や回線、唐草を施した提重。重箱の蓋、身の側面には書・琴・活花など文人のたしなみが描かれている。
くろうるしさんすいろうかくらでんさげじゅう
黒漆山水楼閣螺鈿提重 ~王家のモノと似ています~
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製作年代:18世紀
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黒漆塗りに螺鈿で木々や岩、湖などの自然、建物や舟が描かれた提重。外枠の天板に唐草文様が施されており、鎌倉芳太郎(沖縄研究の第一人者)が、戦前の識名園(当時、旧琉球国王家尚家の別邸)で撮影した『山水楼閣人物螺鈿提重』の外枠の天板と類似している。
しゅうるしきくからくさぞんせいさげじゅう
朱漆菊唐草存星提重 ~カラフルな漆に文様もたくさん~
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製作年代:18世紀
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朱漆の地に存星技法で菊や唐花、唐草、蝶、山水人物などを描いた提重。四段各重の内側には竹・菊・梅・蘭の文様がある。
※存星技法: 色漆で文様を描き、あるいは文様を彫って色漆をつめこむ技法。
しゅうるしさんすいろうかくじんぶつついきんさげじゅう
朱漆山水楼閣人物堆錦提重 ~提重に堆錦は珍しい!!~
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製作年代:19世紀後半
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堆錦技法で山水楼閣人物図を描いた提重。堆錦は、18世紀以降盛んに用いられるようになったが、提重に堆錦技法が使われた例はほとんどなく、珍しい資料である。
くろうるしからくさらでんさげじゅう
黒漆唐草螺鈿提重 ~きらきら輝く微塵貝と表情豊かな花唐草と~
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製作年代:19世紀
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黒漆塗りに螺鈿で花唐草文を描き、地に微塵貝(粗く粉砕した夜光貝の殻を蒔く技法)が施された提重。特に重箱にある鉄線(クレマチス)などの花唐草文の花弁や葉脈には線刻で表情が付けられている。
しゅりょくうるしさんすいろうかくじんぶつはくえさげじゅう
朱緑漆山水楼閣人物箔絵提重 ~徳利は鹿児島製、漆器部分は琉球製~
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製作年代:18世紀後半~19世紀前半
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徳利は鹿児島製であるが、漆器部分は全て琉球製。重箱と枠の天板に、朱漆で箔絵の技法を用いて自然と人間、建物を描いている。その周りを緑漆で囲んで全体の雰囲気を引き締め、沈金技法で七宝繋文を施している。
しゅりょくうるしさんすいろうかくじんぶつはくえさげじゅう
朱緑漆山水楼閣人物箔絵提重 ~箔絵で物語を沈金で願いを鮮やかに表現~
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製作年代:19世紀
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外枠の天板や重箱に、朱漆で箔絵の技法を用いて自然と人間、建物を描いている。その周りを緑漆で囲み、沈金技法で七宝繋文や唐草文等を施している。
しゅうるしたーくー
朱漆湯庫 ~鋲留めの飾り金具がポイント~
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製作年代:18世紀
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外面は朱漆塗りで文様が無い湯庫。内部や底裏、蓋裏は黒漆塗り。金属製の湯注(湯を入れる容器)が内部に収められ、注ぎ口が外側に出る仕組みになっている。抜き差しができる提手の差込部分と、注ぎ口が出る部分に、鋲留めの飾り金具が施されている。
しゅうるしさんすいろうかくじんぶつはくえたーくー
朱漆山水楼閣人物箔絵湯庫 ~朱に金の組み合わせが鮮やか~
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製作年代:19世紀
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朱漆塗りの提手のついた容器に、山や木々などの自然、建物の中で景色を眺めながら語らう人が箔絵の技法によって描かれている。錫瓶の底には、「小船官舎」という中国への進貢貿易で派遣される役職名が墨で書かれている、非常に珍しい資料である。