
なはこうず 那覇港図(複製)~那覇港の繁栄を表現~
「那覇港図」に描かれた重箱
「那覇港図」は、中国から帰国した進貢船や停泊する薩摩の船などが描かれ、琉球王国時代の那覇港の繁栄を表現した絵図です。この資料は、垣花(*1)側から対岸の渡地(*2)や那覇港、三重城(*3)を見渡す構図で描かれています。古くは「浮島(うきしま)」とも呼ばれた那覇は海に囲まれていましたが、戦前や戦後の埋立てなどにより地形を変えています。
「那覇港図」のなかには、ユッカヌヒー(旧暦5月4日)に行われた爬龍船競漕(ハーリー)(*4)の様子と、それを見物する琉球人や薩摩役人の姿が描かれており、行楽の場を彩る重箱が並べられているのにも注目できます。
*1.垣花(かきのはな):現那覇市小禄。王国時代は儀間村(ぎまむら)発祥の地。
*2.渡地(わたんじ):現那覇港の一部(那覇市港町)。対岸の垣花への渡場(わたしば)があったことから王国時代は「渡地村(わんじむら)」と呼ばれた。
*3.三重城(みえぐすく):現ロワジールホテル那覇の裏(那覇市西)。
*4.爬龍船競漕(ハーリー):一般には豊漁や海の安全祈願が行われることで知られる。王国時代の那覇では国家の安泰と人民の平安が祈願された行事。
重箱をひろげて~それぞれの爬龍船競漕(ハーリー)見物~
*以下、描かれたものより一部抜粋して紹介します。
【屏風の右(第一扇~第二扇)】

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渡地(わたんじ)にて朱漆塗りの重箱や
青い酒器(?)など並べて談笑 -
小舟から子どもたちと朱漆塗りの重箱を囲みながら
見物する大人や子ども -
迎恩亭(げいおんてい)で重箱を背に見物する薩摩役人たち -
小橋(こばし)付近にて。子ども二人は人形遊びに夢中 -
通堂(とんどう)より臨海寺(りんかいじ/沖の寺)までの
途中の小橋(こばし)と大橋(おおはし)の間で、
黒漆塗りの提重(?)などを置いて
【屏風の左(第四扇~第六扇)】
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遠く住吉宮(すみよしぐう)から見物する琉球の人々。絵の手前は子どもたち、奥は士族の大人たち。朱や黒漆の重箱にはどんな料理が入っているのでしょうか -
臨海寺(りんかいじ/沖の寺)の下で朱漆や黒漆塗りの重箱を前にする琉球の士族たち。日傘を持っている人はお供の方でしょうか -
朱漆塗りの重箱や茶家(ちょか/チューカー:土瓶)など囲む臨海寺(りんかいじ/沖の寺)のお坊さんたち














