首里城公園の朝は、御開門式(うけーじょー)から始まります。
ご覧になったことはありますか。
夏休み真っ只中の8月6日土曜日と7日日曜日は、かわいらしくも力強い「ウケージョー」で、奉神門の扉が開きました。
6(土)は、城西小学校の5年生と6年生が務めました。
7(日)は、城南小学校の2年生と5年生です。
男の子が着ている服装は、黒朝(クロチョー)といわれる、藍で深く染められた着物で、琉球王国時代のお役人さんの礼装です。帯を前で結び、頭には冠(ハチマチ)を被っています。冠は階級によって、色やデザインが異なります。
女の子が着ている服装は、琉球王国時代の上流階級の女性が身につけた短めの上着、胴衣(ドゥジン)と巻スカート状になっているカカンを着用しています。
着なれない衣裳ですが、身に纏って奉神門前に立つと背筋も伸びてきりっとした顔付きになり、ドラを響かせ、4人で声をそろえて「ウケージョー」とお城中に聞こえるように言っていました。
御開門式の2~3日前には、首里城を訪れ御開門式を見学し、琉球王国や首里城、衣裳等について学習しました。
衣裳を合わせたり、ドラの練習をするなど、事前の準備も万端に当日に臨んでいました。
ご家族だけでなく、来場したたくさんの人びとが見つめる中無事大役を果たした後は、緊張のとけた笑顔で、写真撮影に応じていました。
夏休みの特別な思い出にしていただけると嬉しいです♪
こども御開門学習資料
1.御開門式(ウケージョー)
「ウケージョー」とは「御開門(ごかいもん)」をいみします。もともとはお寺で日の出の卯の刻(うのこく)(あさの6時ごろ)を知らせるかねのことさしていました。
琉球王国(りゅうきゅうおうこく)じだい、このかねとともに役所(やくしょ)の門(もん)をあけたので「開門」と書いたようです。
首里城公園(しゅりじょうこうえん)は、御開門式(ウケージョー)によってはじまります。
奉神門(ほうしんもん)のまえで、クロチョーといわれるきものをきた役人(やくにん)のかっこうをしたスタッフがかねのかわりに銅鑼(ドラ)をたたき、開門(かいもん)をつげます。門(もん)のとびらがゆっくりとひらき、ようやく有料区域(ゆうりょうくいき)「御庭(ウナー)」へ入ることができます。
2.琉球王国と首里城(りゅうきゅうおうこくとしゅりじょう)
琉球王国(りゅうきゅうおうこく)は、1429年に尚巴志(しょうはし)によってとういつされ、1879年まで約450年のあいだ、今の沖縄県(おきなわけん)を中心(ちゅうしん)とする日本(にほん)の南西諸島(なんせいしょとう)にあった王さまのいる国でした。
琉球王国(りゅうきゅうおうこく)は中国(ちゅうごく)をはじめ、日本や朝鮮(ちょうせん)、東南アジア(とうなんあじあ)の国々とたくさんこうりゅうやぼうえきを行う海洋国家(かいようこっか)として発展(はってん)しました。その中でほかの国とのおつきあいがあり、今につながる伝統工芸(でんとうこうげい)や食文化等(しょくぶんかなど)が生まれてきました。
首里城(しゅりじょう)がいつごろたてられたのかはわかっていませんが、首里城正殿跡(しゅりじょうせいでんあと)の発掘調査(はっくつちょうさ)では、14せいきごろにたてられたどだいのあとがみつかっています。
首里城(しゅりじょう)は琉球王国(りゅうきゅうおうこく)の中心的(ちゅうしんてき)なおしろで、政治(せいじ)や外交(がいこう)の舞台(ぶたい)であり、王さまとその家族(かぞく)がくらすところでもあり、さらには国(くに)の行事(ぎょうじ)が行われる重要(じゅうよう)なばしょでした。
※無断転用を禁じます
一般財団法人沖縄美ら島財団
首里城公園管理センター