今日は、首里城公園の中でも、あまり人が立ち寄らない
“穴場スポットVol 2”をご紹介いたします。
首里城公園の北側に人工の池「龍潭」があります。
周囲416m、面積7,575m²
かつては、魚が多くいたことから魚小堀(いゆぐむい)とも呼ばれたそうです。
龍潭は尚巴志が冊封使(さっぽうし)一行を接待するために国相の
壊機(かいき)に命じて1427年に造らせた池である。
昼間の龍潭![龍潭](/userfiles/images/a_003%282%29.jpg)
![龍潭](/userfiles/images/a_003%282%29.jpg)
夜の龍潭
![龍潭(夜).jpg](/userfiles/images/a%282%29.jpg)
琉球王朝時代には、ここで中国からの使者である冊封使を歓待した
重陽の宴(ちょうようのえん)※1が行なわれていました。
※1重陽の宴とは?
龍潭で爬龍船競争(はーりー)を見たりして舟遊び等をしていたそうです。
平成23年度に豊見城龍船協会による「龍潭・古式船遊び」が行なわれました。
龍潭古式船遊び」![龍潭古式船遊び.JPG](/userfiles/images/a_005%281%29.jpg)
![龍潭古式船遊び.JPG](/userfiles/images/a_005%281%29.jpg)
龍潭の浚渫(しゅんせつ)についてお話します。
龍潭は過去に6回もの浚渫を行なっています。
1回目は、1604年に第2尚氏第7代尚寧王(しょうねいおう)の冊封に備えて
浚渫したといわれている。
2回目は、尚寧王時代に浚渫してから74年の歳月を経て、1678年第2尚氏
11代尚貞王(しょうていおう)の冊封に備えて行なわれた。
この時は、石工延べ2,295名、夫役延べ4万4,346名をもって172日を要したという。
3回目は、1754年に第2尚氏14代尚穆王(しょうぼくおう)の冊封に備えて行なわれた。
この時は、世持橋の水門を開けて水を流し浅くなった池底を掘ったそうです。
4回目は、昭和11年(1936年)に首里市(当時)及び青年奉仕隊の勤労奉仕により
洗浄された。この時は、池の前面を覆っていた蓮、浮草等が除去されたそうです。
5回目は、昭和17年(1942年)に約1ヶ月をかけて首里市(当時)の市長(仲吉良光)の
率いる市民、学生、生徒の勤労奉仕約2万人を以って浚渫を行なったそうです。
この時は、太平洋戦争勃発以来の非常体制下であったため、養魚池として活用する
ことが目的であった。
6回目は、平成4年(1992年)11月3日の首里城公園の開園に向けて、戦後初の
本格的な浚渫が行なわれた。なお、浚渫工事は、同年2月中旬に始まり約5ヶ月の
期間を要したそうです。
首里城公園は開園してから20周年となりました。
現在の龍潭には可愛い生き物もいますよ。
写真「バリケン」![バリケン](/userfiles/images/a_003%283%29.jpg)
![バリケン](/userfiles/images/a_003%283%29.jpg)
写真「白サギ」![白サギ](/userfiles/images/a_004%281%29.jpg)
![白サギ](/userfiles/images/a_004%281%29.jpg)
写真「亀」![亀](/userfiles/images/a%283%29.jpg)
![亀](/userfiles/images/a%283%29.jpg)
次の浚渫は何年後でしょうかね。(^^ヾ
紅の星