今回は、首里杜館前の芝生広場にある石碑「真珠湊碑文」を紹介します。
本来は、真珠道の入り口(守礼門の裏側にあった石門)に建てられていた石碑でしたが、沖縄戦により破壊されてしまいました。
現在の石碑は、2006年(平成18年)に復元されたもので、真珠道の入り口の整備後、芝生広場から本来の位置に移動する予定です。
1522年、尚真王時代に真珠道および真玉橋を築造した際の記念碑で、「真珠道および真玉橋は一般交通の利便に供するほか、国土の防衛のため王命により建設された。
一旦ことある時には、首里の軍勢と南風原、島添大里、知念、佐敷の軍勢は、真玉橋を渡って下島尻の軍勢と合流し、那覇港口の南岸垣花に勢揃いして外敵の侵入に備えた。」と記されています。
真珠道は、首里城から金城、識名、真玉橋、小禄、那覇港南岸までを結ぶ主要街道としてだけでなく、軍用道路としても重要な役割を担っていたことが分かります。
その真珠道も沖縄戦や戦後の道路整備により、ほとんど破壊されてしまいました。
現存している真珠道の一部として、「金城町の石畳道」(約300m)があります。
金城町の石畳道は、昔ながらの景観が残っていることから、沖縄観光のスポットとして広く紹介されています。
首里城がある高台の南側斜面に位置し、階段や急な坂があることから、散策にあたっては、予想以上に体力を消耗します。
首里城見学後の散策にあたっては、首里杜館のカフェ龍樋で、ソフトクリームやドリンク等を頂きながら、無料休憩所で一息入れるのもおすすめです。
さて、首里城公園内には、今回、紹介した真珠湊碑文以外にも数多くの石碑が復元・設置されています。
石碑に刻まれている銘文や解説板を確認しながら散策するのも、首里城の意外な歴史が分かり楽しいですよ。
Shiki