「三司官のある一日」
琉球王国時代の首里城で役人たちが
どのように働いていたのか、
疑問に思われた方はいらっしゃらないでしょうか?
在りし日の首里城正殿
役人たちがどのように働いていたのか、
1782~1801年の間に三司官を務めた
伊江親方朝睦 (いえうぇーかたちょうぼく) の、
1784年の日記からのぞいてみます。
この年は、国内の状況として、
飢饉やそれに伴う穀物の価格高騰、長雨や嵐、
芋カズラにつく害虫など様々な問題があり、
これらの重要な問題に対処する必要がありました。
書院
重要な問題は、三司官をはじめとした
首里王府の役人たちで検討した上で、
その内容を国王へ報告し、
国王の合意が得られるまで,
やり取りが重ねられたようです。
日記の中では、伊江親方たちが国王との会議後、
別室に移動して検討しなおしてから、
国王がいる「奥御書院」に出直す、
という様子も垣間見ることができます。
奥書院
ちなみに、資料の中の「奥御書院」が
どちらを指すのかは、研究の途中です。
首里城といえば、華やかで、
きらびやかなイメージかと思いますが
ここで働いていた人々に
思いをはせてみるのもいかがでしょうか?
※三司官(さんしかん):
国王を補佐する大臣クラスの重要ポスト
※伊江親方朝睦の日記
(「乾隆四拾九年甲辰并五拾弐年丁未 三代伊江親方日々記」)
出典:沖縄県文化振興会公文書館管理部史料編集室編
『沖縄県史 資料編7 伊江親方日々記 近世1』
沖縄県教育委員会、1999