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2021.12.04
首里城公園にいらした方が、最初に目にする「守礼門」。2,000円札にも描かれており、均整のとれた美しい形は、首里城公園を代表する施設の1つです。
守礼門はご存知の方も多いと思いますが、その後方およそ500m。かつて守礼門と同じく「綾門(あやじょう)」と呼ばれた門があったのをご存じでしょうか。
その門の名前は「中山門(ちゅうざんもん)」。現在の首里城公園では「守礼門」が皆さんをお迎えする第一の門ですが、琉球王国時代はこの「中山門」が首里城へ入る最初の門でした。1428年に建てられたとされており、形や大きさは守礼門と同じとされています。
形がそっくりな2つの門は、守礼門は「上の綾門(いーぬあいじょー)」、中山門は「下の綾門(しむぬあいじょー)」とも呼ばれていました。
残念ながら現存しておらず1908年に撤去され今は見ることができませんが、跡地には解説版が設置されています。
この中山門を描いた作者は比嘉崋山。琉球王国末期に生まれ、明治から昭和にかけて風俗絵図などを残しました。
この絵を見ると日が東側にありますので時間帯は午前。首里城に登城する人々を描いたのでしょうか。
中山門から首里城へ向かう道中には、国宝でもあり、首里城跡とともに世界遺産に登録された「玉陵(たまうどぅん)」もあります。王国時代に思いをはせながら、描かれた人々のように首里城へ登城してみてはいかがでしょうか。
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