さて、前回は御庭のゆがみと龍の阿吽の形をご紹介しました。
今回は首里城の創建について。
実は不明です!!
驚かれるのもわかります。
国の城の創建年不明って国としてどうなの?
と突っ込みたい気持はわかりますが、実際わかっておりません。
もともと琉球王国の王城として使用される前から、建物の痕跡があることは分かっているのですが、
誰が、何時、何を目的としてここに建物を置いたかは残念ながら不明なままです。
琉球王国が建国される以前、沖縄は北山・中山・南山と三つの勢力に分かれていました。
(この時代を三山時代とよんでいます。)
北山王は今帰仁グスク・中山王は浦添グスク・南山王は南山グスクとそれぞれ、自分が治める領土
に拠点を置いていました。
首里城を拠点にしたのは、1406年から中山を治めるようになった尚巴志です。
中山王の居城を浦添から首里の移したのはいつなのか、これまたはっきり分かっていませんが、
琉球王国建国の1429年より前には転居していたと考えられています。
尚巴志が首里城を拠点にとし琉球王国を建国してからは歴代国王が少しずつ手を加え、最終的
には現在の首里城の形に整備されていたと考えられます。
が結局、創建者・年ともに不明なままです。
戦争で失われた資料のなかにもしかしたら、記述があったかもしれませんね・・・
謎の多い城ですが興味を持った方は、是非遊びにいらしてください。