さて、明日9/6より11/7まで、首里城公園開園20周年記念特別展
「首里城に魂を!」シリーズの第二弾 琉球の漆工藝 がはじまります。
そして今回の目玉!として「朱漆花鳥七宝繋密陀絵沈金御供飯(復元)」
を初公開いたします。
「御供飯」というものは首里王府にて行われていた祭祀儀礼でつかわれ
ていた器物で、今回復元製作し展示するものの原資料は徳川美術館
(愛知県)にあります。
なぜ琉球の御供飯が徳川美術館にあるのか?
その由来は、元和2(1616)年、徳川家康が没した後、その遺産が尾張
(今の愛知県)徳川家初代藩主の徳川義直(家康の九男)に贈られたと
いう記録があり、そこには原資料の御供飯の記述があるのです。
さらに実際に徳川美術館に残っている原資料と、この記録の記述内容
がピッタリだったのです。
あの徳川家康は琉球漆器を持っていたのですね。
ちなみにこの原資料は、記録から1616年以前に作られたことがわかり
ます。年代や由来もはっきりしていることなどから、この原資料の御供
飯は国指定の重要文化財になっています。実は年代がわかっている
ことは琉球漆器では珍しいことなのです
私たち首里城公園では沖縄の皆様にこの貴重な御供飯見ていただき
たいと考え、復元製作にとりかかりました。
復元製作とは、その材料や技法等を当時のままに復元していこうとい
うことなのですが、その過程においては現代の琉球漆器では失われた
技法も見つかるなど、道のりはとても大変なものでした。
そして足掛け6年、ついに「朱漆花鳥七宝繋密陀絵沈金御供飯(復元)」
として復元製作が終了し、今回の初公開にいたりました。![朱漆花鳥七宝繋密陀絵沈金御供飯](/userfiles/images/shashin2.JPG)
色鮮やかで綺麗ですよね!
実際見ていただくと色合いや技法の細やかさなど、かなり迫力があります。
漆器なんですが、とても色鮮やかで、まるで紅型衣裳のようです!
皆様にはぜひ足を運んでいただき、他に展示されている琉球漆器とともに往時の伝統を感じていただけたらと思います。
KEN