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龍潭(りゅうたん)

2013年3月15日

 

今日は、首里城公園の中でも、あまり人が立ち寄らない
“穴場スポットVol 2”をご紹介いたします。
 
首里城公園の北側に人工の池「龍潭」があります。
周囲416m、面積7,575m²
かつては、魚が多くいたことから魚小堀(いゆぐむい)とも呼ばれたそうです。
 
龍潭は尚巴志が冊封使(さっぽうし)一行を接待するために国相の
壊機(かいき)に命じて1427年に造らせた池である。
 
 
昼間の龍潭龍潭
 
夜の龍潭
龍潭(夜).jpg
 
琉球王朝時代には、ここで中国からの使者である冊封使を歓待した
重陽の宴(ちょうようのえん)※1が行なわれていました。
※1重陽の宴とは?
龍潭で爬龍船競争(はーりー)を見たりして舟遊び等をしていたそうです。
 
 
平成23年度に豊見城龍船協会による「龍潭・古式船遊び」が行なわれました。
 
 
龍潭古式船遊び」龍潭古式船遊び.JPG
 
 
龍潭の浚渫(しゅんせつ)についてお話します。
 
龍潭は過去に6回もの浚渫を行なっています。
1回目は、1604年に第2尚氏第7代尚寧王(しょうねいおう)の冊封に備えて
浚渫したといわれている。
 
2回目は、尚寧王時代に浚渫してから74年の歳月を経て、1678年第2尚氏
11代尚貞王(しょうていおう)の冊封に備えて行なわれた。
この時は、石工延べ2,295名、夫役延べ4万4,346名をもって172日を要したという。
 
3回目は、1754年に第2尚氏14代尚穆王(しょうぼくおう)の冊封に備えて行なわれた。
この時は、世持橋の水門を開けて水を流し浅くなった池底を掘ったそうです。
 
4回目は、昭和11年(1936年)に首里市(当時)及び青年奉仕隊の勤労奉仕により
洗浄された。この時は、池の前面を覆っていた蓮、浮草等が除去されたそうです。
 
5回目は、昭和17年(1942年)に約1ヶ月をかけて首里市(当時)の市長(仲吉良光)の
率いる市民、学生、生徒の勤労奉仕約2万人を以って浚渫を行なったそうです。
この時は、太平洋戦争勃発以来の非常体制下であったため、養魚池として活用する
ことが目的であった。
 
6回目は、平成4年(1992年)11月3日の首里城公園の開園に向けて、戦後初の
本格的な浚渫が行なわれた。なお、浚渫工事は、同年2月中旬に始まり約5ヶ月の
期間を要したそうです。
 
 
 
 
 
 
首里城公園は開園してから20周年となりました。
現在の龍潭には可愛い生き物もいますよ。
                                                                           
                                                                                 写真「バリケン」バリケン
写真「白サギ」白サギ
写真「亀」亀
 
次の浚渫は何年後でしょうかね。(^^ヾ
 
紅の星
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