首里城2026年マチカンティー

若手職人インタビュー #14


島袋 啓太さん(常秀工房)

―家業である「常秀工房」を継いで、陶工になられたきっかけを教えてください。

元々、大学に進学していたんですが、大学3年生の頃にちょっと別のことをやってみたいなと思った時期がありまして、大学を休学して父の「常秀工房」で1年間見習いをさせてもらいました。
それまでは自宅と工房が距離的に離れていたこともあり、工房は父の職場という感じで子どもの頃たまに遊びに行っていた程度だったんですが、見習いとして入って実際に作陶を始めてみたら、その頃大学で学んでいた語学の分野よりも、こういった“実際に手でものを作る仕事”の方が自分の性に合っているのかなと感じたんです。
それで、見習いから本採用という流れで家業を引き継いで生業とさせてもらいました。

―今回、首里城正殿の屋根に設置される「鬼瓦」を制作されましたが、どのような経緯で鬼瓦制作に携わることになったのでしょうか?

インタビュー風景

私は当初、鬼瓦ではなく、龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)の制作に参加する予定だったんです。鬼瓦に関しては父が理事を務める壺屋陶器組合が主体となって制作を進める予定だったんですが、その頃ちょっと父が体調を崩してしまって、いろいろと精密検査を受けなければならなかったりして......。
それがあって、前回の平成の復元にも携わっていた陶芸家の山守 隆吾さんから「君たちはお父さんをサポートしなさい」と助言をいただき、私と弟が鬼瓦の制作に携わることになりました。

作業風景
(画像提供:沖縄総合事務局)

※鬼瓦⋯正殿屋根に配置される装飾瓦。首里城では「鬼」ではなく「獅子」の造形。
阿吽形の2対を正殿正面と背面に合わせて4体設置。(令和7年5月設置済み)

※龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)⋯首里城正殿の屋根を飾る、龍をかたどった飾瓦。

―鬼瓦の造形を担当された「窯元 やちむん家」さんから引き継いで、常秀工房さんでは釉薬かけから焼成までを担当されたと伺いましたが、どのような点が難しかったですか?

インタビュー風景

(常秀さん)まず造形に関してなんですが、最初に元となる石膏原型があったんですね。でも型で作るのはサイズ的に無理だったんです。じゃあどうするかといったら、手びねりでやるんです。石膏の原型を横に置いて、それを目で見ながら手びねりで直に仕上げていく。普通なら型を使わないと同じものは作れないんですが、彼ら(窯元 やちむん家さん)は全部手びねりで作ってますから、これはもう本当にすごい技術だと思います。

※手びねり:粘土を指先で伸ばしながら形を作っていく技法
若手職人インタビュー #13|新垣 優人さん(窯元 やちむん家)

そうして出来上がった鬼瓦が、順次こちらにやってくるんです。普段、私たちは釉薬をかけるのに筆を使ったりするんですが、今回はコンプレッサーという機械を使ってやることになったんです。これは同じ人間が作業をしないと仕上がりにバラつきが出てしまうということで、彼(啓太さん)が手順などもすべて学んできて分かっていたので最初から最後まですべて彼に任せました。

インタビュー風景

(啓太さん)普段はマグカップやマカイ(茶碗)といった日常雑器を作っているので、鬼瓦は規模からしてもう全然違いますよね。釉薬の塗布作業をやっていくうちに気がついたんですけど、作陶というよりも車の塗装工の方とかがやっている作業に近いんですよ。
コンプレッサーというのが霧吹き状に塗料を噴霧する機械なんですが、これは別に陶芸用の機械というわけではなくて、ホームセンターだとカー用品コーナーにあるような機械なんです。そこに陶芸用の釉薬を入れて使ったというわけです。

作業風景
(画像提供:沖縄総合事務局)

コンプレッサーを使った塗装作業

とにかく初めての試みだったので、どんな仕上がりになるかは焼いてみないと分からず、まず1回テストで焼いてみて、2回目以降から塗り厚などを工夫していきました。色が足りないところがあったら、釉薬を継ぎ足しで塗り直して焼き直しをして。

作業風景
焼成テストで使用した鬼瓦

何度も手探りで試しながら、次からはこのぐらいの厚みがいいなとか、コンプレッサーを何往復したらちょうどいいなとか、出来上がりの厚みの感覚を自分の中で作っていった感じです。試作も含めると鬼瓦は全部で8体あったので、次の1体へ、次の1体へ、と改善を繰り返す中で、完成度はどんどん高まっていったんじゃないかなとは思います。

作業風景
鬼瓦の焼成に使用した窯

もうひとつ大変だったことといえば、鬼瓦があの大きさ(高さ約1メートル、重さ約260キロ)なので、窯に移動させるにもまずは道具や環境を準備しないといけなかったことです。
100キロ、200キロあるものを手回しで昇降させられるハンドリフトという機械が必要だったのであちこち中古品を探し回ったり、工房内を移動させる時に必要な補助パーツを自作したり...。まず、どんなものが必要か調べるところからだったので、実際鬼瓦に釉薬をかけたり焼成したりという作業よりも、この準備段階にすごく時間がかかりましたね。

―今回、鬼瓦の釉薬には沖縄県産の材料が使われていると伺いましたが、どういった材料でしょうか?

作業風景

(常秀さん)釉薬に関しては僕の方で調合しました。鬼瓦の緑色の部分、これは沖縄の焼き物に伝統的に使われている「オーグスヤ」という緑の釉薬なんですが、昔から沖縄で受け継がれてきた原材料、調合法にこだわって作っています。
これは真鍮粉と籾灰(もみばい)を混ぜたものをミルにかけて粉砕して、そこからまた調合したりと作り方が非常に複雑なんですが、そこは壺屋焼の伝統で今まで培ってきた経験があるので、ある程度スムーズにできたかなとは思います。

(啓太さん)鬼瓦に使用した釉薬は普段から器に使っているものと基本的には同じなんですが、焼いた時にあまり流れないように配合を変えたり、テカリが出ないように微調整したりというのはあります。

(常秀さん)色の具合を確認するのに何度も試験をして、監修の方にも確認してもらいながら進めていきました。窯の温度を1230度まで上げると釉薬が流れてしまうので、流れにくくなるよう釉薬の調合を変えたり、窯の温度をもう少し低い温度にしたりと微調整を重ねて、きれいに色が出るちょうどいい塩梅のところを見つけていったという感じです。

―鬼瓦の制作を通じ、首里城正殿の復元というプロジェクトに携わったことで、なにか気持ちに変化などありましたか?

作業風景

うーん、そうですね......私としては、“首里城だから”ではなく、とにかく目の前の仕事に一生懸命取り組んだというのが正直な気持ちです。絶対に完成させなければいけない、絶対に作り切ってみせる、という気概で、今にして思えばちょっと意地みたいなものもあったのかなと思います。

制作期間中に首里城の関係者の方々が見学に来られた時があって「みんなの期待を背負っているからね」と声をかけていただいたんですが、私としてはもうとにかく必死だったので、誰かの期待に応えるといったことを考える余裕はなく、目の前の仕事をこなすことだけに集中していました。

“首里城の” というのは確かに大きな冠詞としてあるんですが、作ってる最中は目の前の鬼瓦をしっかり仕上げなければという気持ちが強かったので、すべて作り終えてから「ああ、これが首里城の屋根にのるんだな」と、少し感慨深く思ったりはしましたね。

―陶工という仕事の魅力や、やりがいを感じるのはどういったところでしょうか?

インタビュー風景

自分が作ったものをお客様が手に取って、実際に使っていただくというのは本当に光栄なことだと思います。全国にいろいろな陶器がある中で、沖縄の、伝統ある壺屋焼の器を選んでいただけるという事がとても嬉しいですね。長年、器を作り続けていく中で、最近それをますます身に染みて感じているところです。

最近は、機械製造で同じ形のものを大量に作れたりもしますよね。もちろんそれはそれで良い面があるんですが、時間をかけてひとつひとつ手で作ったものを、ちょっとしたズレとかも手作りの良さとして受け取って、選んでいただけるというのは職人としてこの上ない喜びです。沖縄の伝統として、こうして残ってきた手仕事なので、大切に未来にも残していけたらいいなと思います。

―最後に、今回制作した鬼瓦と、復元される首里城に対する思いをお聞かせいただけますか?

2019年の火災で不運にも首里城は焼失してしまったんですが、龍頭棟飾も含めて鬼瓦には魔除けや厄除けの意味が込められています。また復興に際しては、沖縄県民をはじめ全国の皆様からいただいた寄付金も活用されていて、皆様の首里城に対する強い願いも込められていると思います。
もう二度と事故が起こらないように、たとえ起こったとしても耐え抜いてくれるように。そんなみんなの想いの込もった鬼瓦の制作に壺屋の陶工として携われたのは、とても光栄なことだと思います。

ただ、今はまだ制作が終わった直後ということもあって、やり切ってほっとしたという気持ちが一番大きいのが正直なところです。感慨深く思うのは、おそらく鬼瓦がみんなにお披露目されてからなのかなと思います。2026年の完成を私も楽しみにしています。

インタビュー風景

取材日:2025年7月17日

作業風景

島袋さんが釉薬で仕上げた鬼瓦は現在後之御庭にて展示中です。
見に行こう首里城 ~ 正殿復元の「今」を知る~


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