ホーム > 首里城復興へのあゆみ > 首里城2026年マチカンティー > 若手職人インタビュー #17


―現在のお仕事をされることになったきっかけを教えてください。
私は名古屋出身で、小さい頃から図工や美術が好きだったので美術科のある高校で彫刻を学んでいました。地元の美術大学に進学後、そこでも4年間ずっと彫刻を学んでいたんですが、彫刻の仕事というのがほとんどなく、卒業後はフリーターとして映画館や音楽関係など興味のある分野でいろいろな仕事をしていました。大学時代の同級生だった夫が沖縄の久米島出身で、結婚を機に沖縄に移住してきました。
沖縄で仕事を探していた時に、夫がたまたま沖縄県立博物館・美術館で看視員を募集しているのを見つけてきて、応募して採用いただき、博物館・美術館で働くようになりました。何年か看視員として勤めた後、施設の指定管理者が変更になるタイミングで看視員の仕事がなくなるかもしれないということになったので、上司から誘っていただいて今度は総務の面接を受けたんです。
そうしたら面接の時に、総務の他に「教育普及」という、美術館で展覧会をみなさんに広めていくお仕事のポジションにも欠員が出るということを伺って。少し迷ったんですが、教育普及の仕事の方が自分の経験を活かしてやれることがあるんじゃないかと感じて、改めて教育普及で審査してもらい、採用いただきました。

―そこから今回「琉球古刺繍保存会」のメンバーとして活動されるまでに、どのような経緯があったのでしょうか?
私の母が趣味で手芸をやっていて、実家に糸がたくさん余っていたんです。それで私もなんとなく刺繍をやり始めて、沖縄に移住する時にも刺繍道具をそのまま持ってきていました。
博物館・美術館で働き出した後も、移住したばかりで友達もおらず時間があったので、展覧会の内容にあわせて家で刺繍のブローチを作って付けていたんです。展覧会が変わるたびに毎回新しいのを作って、付け替えて。完全に自己満足だったんですが、当時美術工芸を担当していた学芸員さんに「それ面白いね!」と言ってもらえて、とてもうれしかったことを覚えています。

それからしばらくして「琉球王国文化遺産集積・再興事業」という、沖縄の伝統的な美術工芸品について昔の技術や素材を調査・研究し、当時の状態に復元する事業で刺繍できる人を探していた時に、私のことを思い出してくださったそうなんです。
「刺繍のワークショップがあるから参加してみない?」と誘われて気軽な気持ちで行ってみたら、実は集積・再興事業の勉強会で、思っていたのと違う!とびっくりしました(笑)
私は刺繍ができるといってもきちんと習ったことがなく自己流なので、刺繍の教本を見てもステッチの正式名称さえ分からないんですよ。そんな状態なのに、なんだか高級そうな絹の布を渡されてスケジュールも決まっていて。すごく焦りましたが、ある意味そこで覚悟を決めたというか、提出期限があるからやらなきゃ!と必死でした。
その時は伊平屋阿母加那志の繍衣裳を復元するということで、現在保存会の会長をされている寺田貴子先生から琉球古刺繍の技法を教わりながら、6人の分業で各自制作を進めていきました。最終的にひとつの着物が完成したのを見た時に「ああ、こういうことだったんだ。私はすごいところに参加させてもらったんだな」と思いました。
事業としてはそこで一旦終了したんですが、技術を残していくために保存会を立ち上げましょうということになり、私もそのまま参加させてもらいました。
私のような他県から来た人間にこうして声をかけていただけるのってすごくありがたいことですし、沖縄の人はやさしいってよく言いますが、表面的なやさしさではなくちゃんと人を見て受け入れる“懐の深さ”のようなものを感じて。沖縄に来て既に何年か経っていたんですけど、「私もう沖縄でやっていけるかも」と改めてその時に思いました。

―首里城の火災が発生した時は、どのように感じたでしょうか?
私は自宅から首里城が見える場所に住んでいて、その日は夜中、普通に寝ていたんですけど、周囲のざわざわした音で目が覚めたんです。ベランダの方を見たら火の粉のような光が見えたので、最初は寝ぼけてるのかな?と思ったんですけど、だんだんおかしいぞと思ってぱっと起き上がったらもう首里城からワーッと火が上がっている状態で……。びっくりして、言葉も出ませんでした。
寝るに寝られず、当時すでに博物館・美術館で働いていたので、これからどうなってしまうんだろうという不安も頭をよぎりました。数時間後に出勤したものの、部署もまったく違うし、火災現場から離れていることもあり、私たちが直接なにか手伝えるような状況でもなく、みんなどこかふわっとした気持ちのまま通常業務を行っていました。

それからしばらく経って、首里城が燃えてしまったということに沖縄出身でもない自分が思った以上にショックを受けていることに気がついたんです。
なんでかなと考えたら、沖縄に嫁いできてまだ仕事もなにもしていない時期に、うまく沖縄に馴染めず、テレビやラジオから聞こえてくる沖縄方言が少ししんどく感じていた時期があったんですよね。その時に、観光客がたくさんいる首里城へ行ってよく散歩していたんです。いろんな人がいろんな話し方をしていて、それでなんかちょっと安心していたというか、どこかで首里城という存在に助けられていたんだなと思いました。
―今回、御差床(うさすか)の上部に飾られていた「垂飾(たれかざり)」の復元に携わられたそうですが、そのきっかけを教えてください。
保存会の立ち上げ後、今後もなにかお仕事が来るといいねとみんなで話していたんですが、普段はみんな本業がありますし、専用の工房もないので、それぞれで定期的に課題をやったりして手が鈍らないように活動を続けていました。そんななか、首里城の火災が起こってしまったんです。
正殿の復元事業が始まり、委員会の方で「垂飾(たれかざり)」の制作依頼先を検討する中で、私たち保存会の存在を知っている方がいらっしゃって、そこにお願いしてはどうかという話になったそうです。
なんでも平成の復元のときは、垂飾の刺繍を県外に依頼して「日本刺繍」だったので今回とは全然縫い方が違っていたそうなんです。今回せっかく琉球古刺繍が復活したなら、ということでお声をかけていただきました。
※火災前の垂飾(たれかざり)
―「琉球古刺繍」と他の刺繍との違いは、どういったところでしょうか?
元々は琉球王国時代にノロの衣装などに施されていた刺繍で、王国の終わりとともにこれまでずっと歴史が途絶えていたそうです。それを寺田先生が資料を元に研究を行い、今回「琉球古刺繍」として復活させたという背景があります。
一般的な刺繍だと布の後ろ側にも糸が渡るのに対して、琉球古刺繍は後ろ側には一切糸が渡らないというのが最大の特徴です。寺田先生が命名した「琉球千鳥繍い」「本綾織り繍い」など、いくつかのステッチがあります。後ろに糸が渡らない繍い方をすると比較的平面的になるんですが、琉球千鳥繍いに関してはふっくらとしたボリュームと光沢感が出るんです。
※垂飾に刺繍される吉祥模様のひとつ、瑞雲文(ずいうんもん)

ただ、目が均一に揃っていないと光が乱反射して光沢が出ず、同じ糸を使っていても寺田先生が刺繍した部分と他の人が刺繍した部分ではツヤがまったく違うんですよね。かといってあまり糸を密にしてしまうとカーブのところの処理がうまくいかなかったりするので、見えないところで糸を途中で止めたり隙間を作ったり、そのあたりの微調整がすごく難しいです。
保存会のメンバーはみんなプロではないので、集まったときには、このやり方がいいんじゃない?あのやり方はどう?とみんなで試行錯誤してアイデアを持ち寄ったり、お互いにアドバイスし合いながら進めていきました。
※保久村さん作業風景
※琉球古刺繍保存会の作業風景
―仕事のやりがいや、楽しさを感じるのはどんなところでしょうか?
私はやっぱりただただ刺繍が好きなので刺繍をしているだけで楽しいんですが、今回の「垂飾(たれかざり)」の制作では、私たちの手ですべてが完成するわけではなく、装飾は別の方へ、仕立てはまた別の方へと布があちこち移動して様々な職人さんたちの手を経て完成していくという流れでした。
実物はまだ京都にあって直接は見ていないんですが、テレビで完成したものを見たときは思わず鳥肌が立つほど感動しました。
自分たちの手で作った小さなパーツが組み合わさって、ひとつの大きなものが完成したのを見て、ああ、すごい仕事をさせてもらったんだなとグッと来るものがありましたね。それが分業ならではの面白さなのかなと思います。

―最後に、復元される首里城に対する思いをお聞かせいただけますか?
首里城の火災はもちろんとても残念なことだったんですが、火災があったことで琉球古刺繍保存会が復元に関わることができたので、複雑ではありますが素直に嬉しい気持ちもあります。 一度は歴史が途絶えてしまったものなので、琉球にこんな美しい刺繍があったんだということをみなさんに知っていただくきっかけになったのかなと思います。
個人的には、すごく大きなお仕事だったのでプレッシャーはあったんですが、振り返ってみるとやらせていただいて本当によかったなと思っています。完成した垂飾を間近で見たいので、できれば自分たちで御差床に取り付けに行きたいですし、今後定期的な清掃や補修の機会があれば、ぜひやらせてもらいたいなと密かに願っているところです(笑)
保存会のメンバーはみんなプロで刺繍をやっているわけではなく、期間が空くとどうしても手がなまってきてしまうので、せっかく復活した琉球古刺繍の技術を次の世代にしっかり伝えていけるように、これからも定期的に勉強会などを開催して技術を繋いでいけたらと思います。

取材日:2026年3月12日
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